11話

「――――あの先だ」


 ヨランがそう言ったのは、それからしばらく歩いてからのことだった。


「あの突き当りを右曲がった先にある。両開きの大きな扉が見えるはずだ」


 ヨランの言葉に顔を上げれば、たしかに正面に突き当りの壁が見える。

 突き当りで左右に道が分かれていることは、ぼんやりと照らす燭台の火から見て取れた。


「あともう少しね。がんばりなさい」


 私は体に力を入れ直すと、ヨランを見上げて言った。

 いくら痛み止めの魔法をかけたとはいえ、傷が治ったわけでもなければ、完全に痛みが消えたわけでもない。

 道を進むほどヨランの顔色は悪く、足取りも重くなっていた。


 それに、そろそろ私のその魔法の効果も切れる始めるころだ。

 他人に言われるのは腹が立つけど、『貧相な魔法』であることは事実。脂汗を浮かべるヨランの顔には、限界が見えていた。


「もう少しがんばれば休めるわ。そうすれば、あとは神様が助けに来てくれるのを待つだけよ」


 我ながら実に他人任せな励ましを口にし、私は重い足を踏み出す。

 突き当りまでは遠くない。私自身も疲れてはいたけれど、もう少しと思えば力が出た。


「……神様が助けに来る、か」


 そんな私の頭上に、しかしぽつりと水を差すような言葉が降ってくる。


「よく信じられるな、あんな無能神を」


 相変わらずのヨランの悪態である。

 こんな状況になっても、未だに減らず口を叩けるとは大したもの。

 こっちは怒る体力すら残っていないというのに。


「またそんなこと言って……」


 怒る代わりにため息を吐き、私は渋い顔でヨランを見る。

 思えばこのヨラン、最初に会ったときからやたらと神様に刺々しかった。

 アマルダの護衛に選ばれず不機嫌だった――とはいえ、神様相手にいきなり剣を抜こうとさえしたのだ。


 いくら『無能神』と馬鹿にされる神様でも、さすがに剣を向けられるようなことはない。

 ヨランの態度は、ちょっと――どころではなく、度を越しているように思えた。


「なんでそんなに神様に突っかかるのよ。なにか、神様に恨みでもあるの?」

「別に、恨みがあるわけじゃないが…………」


 大人げない態度であることは自覚していたのだろう。

 ヨランはそう言うと、ばつが悪そうに私から視線を逸らす。


 しかし、私は目を逸らさない。

 オルガが止めてくれなければ、あやうく流血沙汰だったのかもしれないのである。


「……『ないが』?」


 続きを促すようにそう問えば、ヨランが口を曲げる。

 その状態で、少しの間。

 彼はいかにも苦々しそうに眉根を寄せ、目元を歪め――。


「…………誰にも言うなよ」


 これ以上ない渋面を浮かべたところで、彼は観念したように息を吐いた。


「恨みがあるわけじゃない。そうじゃなくて、俺は――……たぶん、あいつが怖いんだ」

「怖い……?」


 思わずつぶやいた私に、ヨランが頷いてみせる。

 それから彼は再び視線を前に向け、冗談を言うでもなさそうに言葉を続けた。


「あいつがなにを考えているかわからないんだ。それでいて、なにもかも見透かされているような気がする。無能神の前に立つと、自分が小さくなった気がして――――」


 ヨランは言いあぐねるように口をつぐむと、どこへともなく視線をさまよわせる。

 身震いをしたのは、寒いからではないだろう。

 恐怖を思い返すかのように、彼は大きな体を縮ませた。


「底知れない、得体のなさを感じるんだ。俺たちとはまるで違う、人間らしい感情も――人間への感情も、なにもない存在に、思えて仕方がないんだ」

「…………」


 回廊に、一瞬の静寂が満ちる。

 私はすぐにヨランに言葉を返すことができなかった。


 彼の言うことは――――私にも、わからなくはない。

 神様を前にして、怖いと思うことは何度もあった。ぞくりとするような冷たさを感じることもあった。優しい、穏やかな表情とは裏腹の、突き刺すような威圧感を覚えることもあった。


 もちろん、神々と人間とは根本から違うもの。

 人間を超越した方々が、人間とまったく同じ感情ではいないだろう。


 そうだとしても――神様には、ルフレ様やアドラシオン様以上に、『別物』だと思わせることがあった。

 ふとした瞬間に見せる、人間との絶対的な隔たりがあった。


「…………いえ」


 だけど少しの間のあとで、やっぱり私は否定を口にする。


 別物。人間との隔たり。ぜんぜん別の感情。

 それがあるのは、たしかにそう。

 神様には、私たちには手の届かない部分がある。


 それでも――――。


「神様は、そんなに無情な方じゃないわ」


 私はヨランの背を叩き、たしかな声でそう告げた。

 思いのほか強い力だったのか、ヨランが「うぐっ」とうめき声を上げるけれど、この際些細なことである。


「怖くないとは言わないけどね。けっこう、人間らしいところもある方よ」

「…………それも、『信じている』のか?」


 背中を押さえたヨランが、恨めしげな顔で私を見る。

 どうにも皮肉気な言い方に、私はむっとしつつも首を横に振ってみせた。


 こればっかりは、『信じている』ではない。

 もっとずっと、はっきりとした確信だった。


「違うわ。これは――――『知っている』のよ」


 そう言うと、私は顔を上げた。

 話している間に、もう曲がり角だ。


 角を右に曲がった瞬間、私たちは顔を見合わせ、互いに安堵の息を吐いた。

 視線のすぐ先に、ヨランの言っていた両開きの扉と――人の影が見える。

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