10話 ※ヨラン視点

「…………なあ」


 揺れる徽章を見下ろしながら、ヨランは口を開いていた。

 すぐ隣で、エレノアが顔を上げる気配がする。

 ヨランが視線を向ければ、ちょうど見上げるエレノアと目が合った。


「どうして、俺を助けたんだ」


 訝しげなエレノアに向け、口にしたのは純粋な疑問だった。

 ただの演技。聖女のふりをするため。自分を騙そうとしただけ――なのかもしれない。

 今、彼女が口にする答えが真実かどうかを、ヨランには判断するすべもない。


 それでも、聞かずにはいられなかった。


「捨てる機会はいくらでもあったはずだ。別に見捨てたとしても、この状況では誰も文句を言うこともない」


 たぶん、黙っていれば見捨てたと知られることさえもないだろう。

 エレノアがヨランと一緒にいることを知るのは、あの王家の兵だけだ。

 あの兵が生きているとも思えない。もし生きていたとしても、途中ではぐれたとでも言えばそれまでだ。


「足手まといだっただろう。うるさかっただろう。お前にとっては、なんの得にもならないのに――――どうしてまだ、俺を助けようとするんだ?」

「どうしてって……」


 ヨランの問いに、エレノアは瞬いた。

 一度、二度と意外そうに瞬いてから、しかしすぐに渋い顔をする。


「……そりゃあ、何度も捨ててやろうとは思ったわ。不満ばっかりだし、聞いてて嫌な気分になるし」


 エレノアはそう言って、うんざりと首を横に振った。

 相当嫌な気分にさせていたのだろう。眉間の皴は深く、口元は苦々しい。

 ヨランに向ける視線は穏やかではなく、聖女らしい優しさなどまるで見えなかった。


「――――でも」


 でも。


 その顔のまま、エレノアは息を吐く。

 心底仕方がなさそうに、どこか面倒くさそうに。


「助けてほしそうな顔をしてたんだもの、あなた。それで置いて行ったら、寝覚めが悪いじゃない」


 だけど当然のように言うと、彼女は厄介な荷物を担ぎ直すように、ヨランを支える手に力を込めた。


「まあ、道端に落ちていたどんぐりを拾うようなものよ! 見つけちゃったら、拾わないわけにいかないでしょう?」


 そうして、彼女は再び視線を前に向ける。

 暗闇を見据え、気合を入れるように息を吸い、大きく足を踏み出す。


 回廊に響き渡るのは、カツンと軽い少女の足音――ではない。

 二人分の重みの載った、踏みしめるような力強い音だ。


 走り回って、逃げ回って、髪はくしゃくしゃに乱れていた。

 服は汚れ、男一人を支える重さに顔は歪み、額には汗がにじんでいる。


 その姿は、令嬢どころか年頃の娘とも思えない。

 ましてや、清らかたるべき聖女などもってのほかだ。


 聖女とは心優しいもの。笑みを絶やさず、いつも穏やかで、可憐で儚い。

 脆く傷つきやすく、か弱い花のように守るべきもの――。


 エレノア・クラディールは、ヨランの思い描くそんな理想の聖女像とは、まるで違った。


 なにもかもが、違っていた。


「どんぐりは……普通は拾わないだろ」


 思わず口にしてから、ヨランはもう一度目を伏せる。

 鈍く光るオルガの徽章を見つめ、言葉の代わりに息を吐く。


 ――オルガ。


 エレノア・クラディールは穢れをばらまいた元凶で、最高神の聖女が認めた極悪人。

 そのことを疑ったことはなかった。

 聖女の言葉は神の言葉。アマルダの言葉は、最高神グランヴェリテの言葉であり、絶対の正義。

 そのはずだった。


 ――俺には、わからないんだ。


 なにが正しくて、なにが間違っているのか。

 なにを信じればいいのかが、わからなくなってしまった。


 カチンと徽章の当たる音がする。

 オルガだったら、迷わなかったのだろうか。


 自分の信じるものを、自分で見つけられたのだろうか。

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