12話

 ――た、助かったぁああ……!


 ようやく見つけた人の姿に、私は心底ほっとしていた。

 この暗闇で、長らくヨランと二人きり。穢れへの恐怖やら不安やら、大の男一人を支えて歩く体力的な辛さもさることながら、ガミガミ言い合いながらの道中はなかなか心に来るものがある。

 おかげさまで、誰か他の人がいるだけで、危うく涙が出そうだった。

 もう大丈夫なのだと思うと、安堵に足元も崩れ落ちそうになる。


 いやしかし、まだここで倒れるわけにはいかない。

 扉まではもう少し。あとひと踏ん張り、根性で顔を上げ、私は目指すべき回廊の先へと目を凝らす。


 薄暗がりに浮かぶのは、荘厳な装飾の彫り込まれた、見るからに頑丈そうな扉である。

 その手前には、腰に剣を差した二人組。

 道中で私たちを助けてくれた兵と違って、鎧は身に付けていない。武装してはいるものの、装備は胸当てや膝当て程度の軽いものだ。


 神殿内での軽装備は、神に仕える兵の特徴――となると、彼らは神殿兵だろうか。

 裁判のために兵も所内に集められていたことだし、閉じ込められてしまったのだろうか――?


「――――誰だ!?」


 などと考えながら足を踏み出した途端、音を聞きつけた兵の一人が鋭い声を上げる。

 言い訳などする暇もない。二人の兵は揃ってこちらを振り返り、問答無用で剣を抜いた。


 こちらへ向けられる剣に、私はぎょっと身を竦ませる。

 思わず足を止める横で、しかしさすがにヨランは怯まない。

「待て!」と制止の声を上げると、暗闇の先にいる二人に向けて叫んだ。


「剣を下ろせ! 俺だ!」

「…………ヨラン?」


 ヨランの呼びかけに、兵たちは驚いたように目を見開いた。

 どうやら、ヨランとは顔見知りだったらしい。

 ヨランも兵たちの名前を口にすれば、互いに安堵したような顔をする――が。


「お前たち、無事だったんだな……!」

「ヨラン、お前こそ生きていたのか!? それに――――」


 その目が私に移った途端、兵たちから安堵の表情は消える。

 支えるヨランの腕の下、一斉に向けられた二人の視線に、私は肩を縮ませた。

 どう考えても、向けられる視線は刺々しい。というよりも、明らかな敵意の目である。


「――エレノア・クラディール」


 私の名前を呼ぶ声は、ヨランに対するものとは打って変わって、凍えるように冷たい。

 下ろせと言われた剣を握り直し、二人は警戒するように身構える。


 当然である――とは言いたくないけど、やっぱり当然の反応である。

 だって現在の私は穢れ発生の容疑者であり、彼らにとっては諸悪の根源。この状況を生み出した元凶なのだ。


 どうしたものかと立ち尽くす私に、兵の一人が低い声で責める。


「どうして貴様がここに……!? なぜヨランと一緒にいる!!」

「ああ、いや、待て待て。警戒する必要はない」


 返答次第では、すぐさま剣を振り下ろしかねないその問いに、慌てて割り込んだのはヨランだ。

 彼は、なんと説明したものかと迷うように私を一瞥し、同にも歯切れ悪く言葉を続ける。


「剣を下ろしてくれ。危険はないはずだ……少なくとも、今のところは。こいつは――」

「……危険はない?」


 しかし、兵たちはその言い訳を最後まで聞く気はないらしい。

 やはり剣を下ろさないまま、ヨランの言葉に眉をひそめた。


 顔に浮かぶのは、明らかな疑惑だ。

 二人の兵はとうてい信じられないと言いたげに眉根を寄せ、互いに視線を交わし、目配せをする。


「…………ああ、なるほど」


 それから、ようやく合点がいったと言うように、兵の一人が呟いた。


「そういうことか、ヨラン」

「………………なに?」


 こわばった表情を崩し、かすかに口を曲げる兵に、ヨランの方こそ眉をひそめる。

 彼には合点がいっていないらしい。もちろん私にも、『そういうこと』がなんなのかはわからない。

 ピンとこない私たちに、しかし兵は薄く笑いながら言葉を続ける。


「相変わらず忠義な奴だ。アマルダ様もお喜びだろう」

「アマルダ様? アマルダ様もこの先にいらっしゃるのか?」

「ああ。お前たちが来るのを待っていらっしゃった」

「待っていた? どういうことだ?」


 戸惑うヨランの言葉には答えず、兵たちは扉へ目を移した。

 見るからに重たげなその扉に手をかけ、彼らは振り返らないままに押し開ける。


「中に入ればわかる」


 兵の言葉を掻き消して、ギイ、と重たい音が響き渡った。

 扉の向こうにあるのは、私たちがずっと目指していた『安全な場所』だ。






 そう――――思っていた。


 ここまで来れば一安心。

 もう穢れから逃げ回ることもなく、暗闇を歩き続けることもない。

 ひと息吐いて、ゆっくり休んで、あとは神様が来てくれるのを待つだけだ。


 ここまでくれば、もう大丈夫なのだ――と。

 ずっとそう信じて、歩き続けてきた。






「――――これは、どういうことですか……!?」


 ヨランの声が、荘厳な扉の先に響き渡る。


 扉の先、足を踏み入れた私たちを待っていたのは、神聖さを示す白木の法廷だった。

 法廷にはすでに人が入り、裁判官の席にはずらりと神官たちが並んでいる。


 その席の中央。一段高いところに、法廷全体を見下ろす神の座が据えられていた。


 神の座に腰を掛けるのは、畏れ多くも最高神グランヴェリテ様だ。

 無機質な目でこちらを見下ろす神の隣。そっと寄り添うように体を寄せる少女の姿に、私は声も出なかった。


 ふわりと柔らかな亜麻色の髪。どこまでも澄んだ青い瞳。

 ほっそりとした手を頬に当て、困ったように眉尻を下げる。


 幼なじみの聖女、アマルダの顔には、こんな時にもわずかの悪意も見られない。

 扉を開け、入ってきた私たちに向けるのは――聞き分けのない子どもを見るような、哀れむような表情だった。


「あなたは――」


 その哀れみの視線を受けながら、ヨランは重たげに首を振る。

 中に入ればわかる――と言われた通り、アマルダがなにを『待っていた』のかはすぐにわかった。


 神前の法廷。裁判官。法廷を見守る神がいて――足りないのは、ひとつ。

 裁くべき、罪人だけだ。


 外を穢れが満たす中、この安全な場所で、アマルダは罪人を待っていたのだ。


 ヨランの叫び声が響き渡る。

 信じたくない――と言いたげに。


「あなたは、まだ裁判を続けるおつもりですか!? こんな、状況で――――!」



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