13話 ※法廷の外
――――こんな状況に、リディアーヌは息を吐く余裕もなかった。
「――すぐに裁判所から離れなさい!
黒く染まる裁判所の庭で、リディアーヌは逃げ惑う人々に向けて叫んでいた。
周囲では、めまぐるしく人が流れている。
穢れに追われ、裁判所から逃げてくる人。友人や同僚を、必死に探して回る人。恐怖に立ち竦む人に、それを押しのけ、我先にと逃げる人。
怪我人も少なくない。穢れに触れたのか、意識を失い動けない者も多い。
だけど彼らを連れて逃げるには、圧倒的に人手が足りなかった。
「無理して奥まで行くな! 魔力が切れたらさっさと逃げろ!」
焦るリディアーヌの近くでは、レナルドが兵や神官たちに向けて声を張り上げる。
彼らの目的は、建物内に取り残された人々の救出だ。穢れの扱いを知るレナルドの指示を受け、兵たちが入れ代わり立ち代わり建物へと出入りする。
「穢れに普通の武器は通じねえ! 魔力切れは役立たずだ! 自分たちが助けられる側になるんじゃねえ!」
だけど魔力も無尽蔵ではない。
そもそも、それなりの魔力を持った兵なんて、それ自体が希少な存在なのだ。
今いる兵や神官では、中へ入れてもせいぜい一階か二階までが限度。
もどかしいくらいに救出が進まないまま、魔力ばかりが切れていく。
レナルドが奥歯を噛み、苛立たしさに視線を上げた先。
影の落ちた裁判所のどこからか、魔法の弾ける音がした。
建物の中には王子の連れてきた兵たちが残っていて、人々を外へと逃がしているという。
さすが、こんな状況で連れてくるだけあって精鋭らしい。彼らに助けられたという人間が、何人も階下まで逃げてきていた。
だが、その魔法の音も、少しずつ頻度が減っている。
人々を救い終えただけなのか、それとも魔力切れを起こしているのかは、建物の外からは判断がつかない。
「――――くっそー! なんで俺がこんなことを!」
「おーもーいー!」
その建物の回廊で、ルフレが力尽きた人間を背に担ぐ。
横ではソワレが同じように、倒れた別の人間の腕を掴んで引きずっていた。
「聖女抜きで人間の手助けなんて、あとでなに言われるか分かんねーぞ」
ルフレは背中の人間を一瞥し、けっと吐き捨てる。
神は人間に直接手出しをしてはいけない。
手を貸せるのは、聖女を介した場合のみ。今までは曲がりなりにも守ってきたルールだが、さすがに今回は言い訳もできなかった。
「まあ、どうせ神の力なんてろくに残ってねーけどな! 次にでかい穢れに会ったらやべえぞ!」
「罰を受けなくて済むかもねえ」
冗談にもならないことを言い、ソワレはちらりと回廊の窓を見る。
すっかり穢れに覆われ、真っ黒に染まった窓だが、彼女が見たのは外の景色ではない。
窓越しに、見知った神の気配がする。
ソワレたちよりもずっと力ない――人間でいうところの、低位の神気だ。
もしかしたら、罰を覚悟で力を貸しているのは、自分たちだけではないのかもしれない。
吹き抜ける突風が、穢れから逃げる人々の背中を押す。
導くようなその風を受けながら、だけどマリは、ソフィとともに裁判所の庭から動かなかった。
「――――リディアーヌ、私たちにできること、なにかない?」
「魔力持ちが必要なんでしょう? 私もマリも、一応は聖女に選ばれたんだもの。魔力なら、他の人よりはあるはずだわ」
「マリ、ソフィ。気持ちは嬉しいけれど――」
揃って声をかけるマリたちに、リディアーヌが人々への指示を止めて振り返る。
マリたちへと向ける表情は険しい。責任感のある、公爵令嬢らしい顔だった。
「さすがに危険だわ。あなたたちに、無理をさせるわけにはいきません」
魔力持ちが必要なのは、穢れに対処するレナルドの方だ。
非難の手助けならいざ知らず、マリたちにそんなことはさせられないと、リディアーヌは首を横に振る。
だけど、マリは引き下がらない。
「危ないのはわかっているわ。……そりゃあ、私たちは、誰かのために命をかけられるほど立派な聖女じゃないけど」
でも、と言って、マリは隣のソフィと頷き合う。
自分たちは立派な聖女ではなかった。自らの仕える神の姿も見えず、本当に選ばれたのかもわからない。
強い人間には従うし、言いなりになって嫌がらせもする。悪口も言えば愚痴も言う。リディアーヌみたいに誇り高くもなく、責任感のある方でもない。
「でも――」
もう一度言って、マリは周囲を見回した。
影の落ちた庭に、めまぐるしい人の流れがある。
建物から出てくる、恐怖に怯えた人の影。はぐれた誰かを探して響く声。怪我に倒れた人と、怪我もないのに目を覚まさない人。
それを助けようと、必死になって駆け回る人々の姿がある。
声を枯らして叫ぶ、友人の姿があるのだ。
「でも――――黙って見ていられないじゃない!」
マリは両手を握りしめ、くしゃりと表情を歪ませる。
目の前の光景が耐えられなかった。
聞こえる悲鳴が、苦しくてたまらかった。
「こんな状況だもの! 放っておけるわけがないわ!!」
目の前の光景を見てなにも感じず、なにもせずにいることの方が、マリにはよほど難しかった。
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