14話
「――――こんな状況だけど、でも、仕方ないことなの」
ヨランの言葉に、アマルダは傷ついたように目を伏せた。
「私だって、こんな状況を放っておきたいわけじゃないわ。みんなが穢れに苦しんで、辛い思いをしているんだもの。最高神の聖女として、なにかできることをしてあげたい。放っておけない。助けてあげたい。私にできることなら、なんでもしてあげたい……!」
悔しそうに唇を噛み、頭を振るアマルダの姿は痛ましい。
声は震えていた。その震えを隠すように、両手が強く握りしめられる。
うつむく彼女の目の端には、かすかな涙さえ滲んでいた。
「でも――私は、最高神の聖女だから」
その涙を呑むように一度目をつぶると、彼女は顔を上げる。
再び目を開いた彼女の顔に浮かぶのは、苦しさも悲しさも受け止めたような、目を奪われるほどに強い表情だ。
「最高神の聖女として、私にしかできないことがあるの。みんなを助けたいからこそ、今、やらなきゃいけないことがあるの。それが、どんなに苦しいことだとしても!」
声には強い決意がある。
同時に哀切で、悲痛な響きがある。
目の端からは、こらえきれなかった涙が一筋、頬を伝い零れ落ちる。
燭台に光るその涙を――私は愕然と見つめていた。
彼女の言っていることが、上手く呑み込めなかった。
呑み込める気も、しなかった。
「アマルダ様……」
言葉の出ない私の横で、ヨランが重たげな頭を上げる。
縋るような目にアマルダを映し、彼はかすれた声で問いかけた。
「それが……この裁判だとおっしゃるのですか…………?」
「……ヨラン。ノアちゃんは、裁判を止めるためにこの騒ぎを起こしたのよ」
ヨランの問いに、アマルダもまた息苦しげな声を返す。
握りしめた手を胸の前で合わせ、嗚咽にも似た息を吐くと、彼女は涙に濡れた目でヨランを見つめた。
「だとしたら、思い通りにさせるわけにはいかないわ。ここで裁判を止めれば、正義が屈することになってしまうもの。――それにね」
その目を、アマルダはゆっくりと移動させる。
移動した視線の向く先は、彼女のすぐ隣。
これまで無言で法廷を睥睨していた最高神――――グランヴェリテ様だ。
「これは、神々のご意向でもあるのよ。神々の王である、グランヴェリテ様がお望みなの」
そうですよね、と言って、アマルダはグランヴェリテ様に目を細める。
苦しみを呑んだようなかすかな笑みに――そこではじめて、グランヴェリテ様が身じろぎをした。
置物のように動かなかったグランヴェリテ様が、重たげに首をひねる。
アマルダに顔を向け、彼女と視線を合わせると――彼は少しの間のあとで、端正な顔をわずかに歪めた。
形の良い口の端が持ち上がる。金の目が細められる。無機質なほどの美貌が、かすかな笑みの形に変えられる。
周囲の神官たちが、感嘆の息を吐く。
神殿兵が胸を張り、ヨランもそれ以上は言葉を続けられない。
神々の王たる最高神が、アマルダに微笑みかけたのだ。
それは明らかな肯定の意思。アマルダを認めたことに他ならない。
この裁判を、神々も後押ししているのだ――と。
そうとしか、思えない行為だった。
――でも。
微笑みを浮かべるグランヴェリテ様に、私は知らず足を引いていた。
目の前にいるのは、たしかに偉大な最高神。輝く金の髪と、鋭く冷たい金の瞳。目も眩むような美貌を持つ。誰もがよく知る神々の王――なのに。
その笑みに、なぜだか背筋が寒くなる。
最高神の威圧感に怯えたわけではない。強すぎる神気にあてられたのとも、たぶん違う。
ぞくりと肌を撫でる寒気は、もっと別の――得体のしれない、違和感のようなものだ。
――真似をしている……?
まさか、と私は自分で否定する。
そんなはずはない。そんなことをする理由もないはず――だけど。
最高神の顔に浮かぶ笑みは、どこかぎこちない。
それでいて――見つめ合うアマルダの表情に、そっくりだった。
「――ノアちゃん」
息を呑む私に、アマルダは笑みのまま呼び掛ける。
はっと我に返って視線を向けた先。同じ笑みを浮かべる最高神に寄り添い、こちらを見下ろすアマルダと目が合った。
「神々はみんな、ノアちゃんの思い通りにさせるつもりはないの。どれほど裁判の邪魔をしようとしても、罪をうやむやになんてさせないわ」
「罪なんて……!」
言い聞かせるようなアマルダの目に、私は首を横に振る。
口から出る声は震えていた。でも、震えを隠すように私は唇を噛み締める。
周囲を取り囲むのは、神の後ろ盾を得た神官たちと、アマルダを守る兵たちだ。
突き刺すような敵意を向けられ、足が竦みそうになるけれど、絶対に倒れるものかと力を入れる。
暗闇をずっと歩いてきたのも、穢れに追われて必死に逃げたのも、こんなことのためではない。
負けたくなかった。折れたくなかった。
こんな場所で、終わりたくなんてなかった。
「……そんな顔をしてもだめよ」
アマルダを睨み返す私に、彼女は困ったように眉尻を下げる。
片手はグランヴェリテ様の腕に、もう一方の手を口元に。可憐なピンクの唇を隠し、彼女は小さく息を吐く。
「いいかげんに認めて、ノアちゃん。誰も助けに来ないわ。あの冷たい無能――クレイル様が、ノアちゃんを助けに来ると思う?」
「神様は冷たくなんてないわ!」
その、隠れた口元。
言い返す私の言葉に、アマルダはかすかに――――ほんのかすかに、口の端を持ち上げた。
「……かわいそうなノアちゃん。あんな
「アマルダ……!」
「でも、かわいそうでも罪は罪だものね。報いはちゃんと受けないと」
アマルダはそう言うと、さあ、と胸を張る。
口元を隠す手はもうない。彼女は手を前で重ねあわせ、ピンと背筋を伸ばし、最高神の隣で気高く顔を上げた。
それから、周囲の人々を見回して、静かに大きく息を吸う。
「さあ――――裁判を始めましょう、ノアちゃん?」
白木の法廷に、凛と澄んだ声が響き渡る。
それは断罪を告げる、冷徹な宣言だった。
冷たい無数の視線に、足が凍りつく。
歯を食いしばっても折れそうな心の中、私は無意識に――祈るように、あの穏やかな微笑みを思い浮かべていた。
――――神様……!
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