7章(前)

1話 ※アマルダ視点

 アマルダ・リージュは悲しかった。


 未だ増え続ける穢れと、それに苦しむ人々がいることが悲しかった。

 その穢れを生み出した元凶が、幼なじみであり元親友のエレノアであることが悲しかった。

 だというのに、未だに罪を認めず、悪びれないエレノアの見苦しさと残忍さが悲しかった。


 だけどなにより――朝一番、屋敷に駆けこんできた神官たちの報告が、アマルダを深く悲しませた。


「……そう。クレイル様は、今もノアちゃんのところにいるのね」


 最高神グランヴェリテの屋敷、応接室。

 アマルダは柔らかなソファに体を沈め、青い瞳を曇らせた。


「それで、ノアちゃんのことをかばうことばかり言うのね。……どんなに本当のことを話しても、耳を貸そうともしてくださらないのね」


 目の端からは、じわりと涙が滲む。

 心配そうにうろたえる神官たちも、今のアマルダの目には入らなかった。


 報告の内容は、穢れを生み出した大罪人、エレノア・クラディールから保護した無能神――クレイルについてだ。

 エレノアによって虐待され、穢れを生まされ続けた被害者たる無能神は、現在、ちょっとの誤解から屋敷を出て行ってしまっていた。

 再びエレノアに利用されてはいけないと、慌てて行方を捜したのは数日前。神官たちの力を借り、ようやく見つけ出した無能神の居場所は、よりにもよってエレノアのいる牢の中だった。


 よほどエレノアの報復が恐ろしかったのだろう。逃げ出したことで、虐待がさらに苛烈になることが怖かったのだろう――。

 そう思い、今日まで説得を続けてきた結果が、今日の神官たちの報告だ。


「それどころか、私の方こそ間違っているとおっしゃるのね。……神ともあろうお方が、真実を見ようともしないなんて」


 無力感にうつむくと、目の端にたまった涙がこぼれ落ちる。

 すべては無能神たるクレイルのため。彼を救うために力を尽くしてきたというのに、アマルダの想いは少しも彼には伝わらなかったのだ。


 ――つらいものね、親切を無碍にされることって。


 思えば、いつもこうだった。

 アマルダはいつだって、困っている誰かを助けようと手を差し伸べて来ただけ。

 それなのに誤解され、恨まれ、妬まれてばかり。もちろん、アマルダの心をわかってくれる人もいるけれど――マリオンのように、逆恨みでアマルダを嫌う人間はいるものだ。


 ――やっぱり、ノアちゃんはマリオンちゃんの妹なのね。クレイル様と一緒になって、そんなに私のことを陥れたいの……?


 エレノアのしたことは、神殿の信頼を地に堕とすことと同義だ。

 それはつまり、最高神の聖女であるアマルダの立場を危うくすること。

 エレノアは、アマルダが苦しむとわかっていてこんな大事件を引き起こしたのである。


 ――どうしてそんなに人を憎めるの? そのために、たくさんの人を傷つけるなんて……。


 誰かを陥れようという悪意が、アマルダには理解できない。

 アマルダはかつて一度だって、誰かを傷つけようと思ったことはない。

 だからこそ、自分に向けられる理不尽な悪意がつらかった。


「……説得しても、無意味なのね。せめて、クレイル様にだけでも、わかってもらえたらと思ったけど」

「アマルダ様……」

「私、たぶんクレイル様のことを誤解していたのね。かわいそうな被害者……って思っていたけれど、きっと本当は、ノアちゃんと同じ。わかっていて、こんなに多くの人を傷つけたんだわ」


 そうでなければ、最高神の聖女であるアマルダの言葉を否定する理由がない。

 アマルダの言葉は、最高神の言葉と同じだ。アマルダが間違っているのならば、最高神グランヴェリテがなにも言わないはずがないのだから。


 今から思えば、アマルダの屋敷を出て行ったときの無能神の態度もおかしかった。

 あれだけ親切にされておきながら、アマルダを突き放すような冷たい言葉と態度で、引き留める声さえも無下に切り捨てたのだ。

 きっと、あれが無能神の本性なのだろう。

 親切に手のひらを返し、差し出した手を払うような神だった。


「人々を守るべき神がそんなことをするなんて、信じたくなかっただけなのね。神々はみんな清らかで、尊いお方だと思っていたかったけれど……」


 はらはらと泣くアマルダに、神官たちが痛ましげな目を向ける。

 その優しい視線にようやく気付き、アマルダは顔を上げた。

 安心させようと笑みを浮かべるけれど、泣き濡れた顔は隠せない。くしゃりと歪んだ笑みに、神官たちは息を呑んだ。


「ごめんなさい、心配をかけて。でも、気持ちを切り替えなくっちゃ。……今日は、大事な日だものね」


 涙はぬぐえないまま、アマルダはどうにか明るい声を出す。

 気丈なアマルダの姿に、神官たちの間から感嘆の吐息が漏れ出した。もらい泣きまでする心優しい神官たちに、アマルダは苦笑した。

 世の中には、意地の悪い人ばかりではない。こうしてわかってくれる人たちが、アマルダの周りにはたくさんいるのだ。


「泣いていられないわ。悪いことをしたのなら、償いをさせないといけないもの。今日は、そのための日なんだから」

「……ええ、アマルダ様!」


 笑みを取り戻したアマルダに、神官たちが強くうなずく。

 中には力んで、拳を握っている神官までいて、アマルダはますます笑ってしまった。


「今日は裁判の日ですからね! もう言い逃れはさせません! 徹底的にさばいてやりましょう!」

「最高神の聖女たるアマルダ様に、心配することなどありません! 王家の連中も出張って来るようですが、今日はグランヴェリテ様もご一緒です! グランヴェリテ様のお姿を見れば、連中も文句は言えないでしょう!」

「王家側でも、ルヴェリア公爵はアマルダ様のお味方でしょう? わかる方は、ちゃんとアマルダ様のことをわかっていらっしゃいますよ!」

「悪には必ず鉄槌が下るものです! 大丈夫、正義は必ず勝ちますよ!」


 口々の言葉に、アマルダは目を細める。

 涙はいつの間にか止まっていた。

 口からは、知らず「ふふ」とやわらかな笑みが漏れる。


「ありがとう、みんな」


 目元を拭って立ち上がると、アマルダは集まった神官たちを見回した。

 今日は裁判の日。エレノアたちに罪を認めさせる日だ。

 不安は一つもない。正義は自分の側にあることを、アマルダはわかっている。


「さあ、行きましょう。――グランヴェリテ様」


 アマルダはそう言って胸を張ると、隣に腰かけていた最高神に呼び掛けた。

 アマルダの言葉に、最高神は高貴な金の目を細める。


 そうして、アマルダに誘われるままに立ち上がり、「ああ」と低い声で頷いた――




 ――――――ように、アマルダには聞こえていた。


『たすけて』



『もう』








『おわりだ』

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