2話 ※リディアーヌ視点

「よくって? 今日の裁判、異議を唱える機会はおそらく一度だけ。神殿による裁判は特殊で、基本的に部外者は口出しできないの。普通の裁判のように弁護人を付けることもできないわ」


 アドラシオンの屋敷、会議室。

 リディアーヌは硬い口調でそう言うと、集まった顔ぶれを見回した。


「神殿の裁判は、背信者を裁くためのものだもの。神に忠誠を誓った神官たちに過ちはないっていう言い分よ。裁判の進行も神官たちが担っていて、反論の機会が与えられることも少ないわ」


 加えて、裁判に集められる人間は、アマルダに近しい者たちばかりだろう。

 エレノアの味方をする人間の存在を神殿が許すはずもなく、そもそも今の神殿にエレノアの無実を信じる者はほとんどいない。

 いくらエレノアが声を上げたところで、聞く耳すらも持ってもらえないはずだ。


 でも、とリディアーヌは表情を引き締める。

 逸る気持ちを抑えるように、会議のお供にと用意した紅茶に口を付けると、彼女は深く長く息を吐いた。


「でも、一度だけ、確実に話を聞かせる機会があるの。神殿の裁判は慣例として、王家から代表者を招いて、判決に賛同してもらわなきゃいけないのよ。普通であれば、形だけの儀礼的なものだけど……」

「そこで異議を挟んで、私たちが証言するのね。神殿の聖女は偽物で、神託も嘘ばっかりだってこと」


 リディアーヌの言葉を引き取り、マリが神妙な顔でそう続ける。

 隣ではソフィも、緊張した面持ちで頷いた。


「神託が嘘なら、アマルダが偽の聖女かもしれないって話になるものね。そうしたら、アマルダの言っていることも信用できなくなるわ」


 聖女の役割は、神の声を聞くこと。最高神の聖女であるアマルダの言葉は、すなわち最高神グランヴェリテの言葉として受け取られる。

 だけどアマルダが最高神の聖女でないのならば、そもそもの前提がひっくり返る。

 最高神の聖女の座を詐称するなど、それこそ国がひっくり返るほどの重罪だ。


 もちろん、そんな主張をしたところで、アマルダが素直に認めるとは思えない。

 アマルダを旗印とする神殿上層部も、神託の偽装くらい承知の上のはず。

 彼らを説き伏せるのは難しいだろう――が。


「説得するのは下っ端連中だ。いくら神殿の幹部だろうと、大勢の下っ端を敵に回しちゃやっていけねえ。下から大量に不満が出るようであれば、強引に判決は下せないはずだ」


 レナルドの言葉に、リディアーヌは顎を引く。

 もちろん、下っ端の説得と言っても簡単ではない。

 アマルダに心酔する人々に、言葉でどれほど訴えかけられるかは未知数だ。


 ――アマルダ・リージュが偽聖女である確証は、わたくしにだってないわ。グランヴェリテ様がお傍にいる以上、神託が嘘でも、グランヴェリテ様はアマルダ・リージュの存在を認めていらっしゃるということでしょうし……。


 最高神として、グランヴェリテが口出しをしてくれればいいのに――と今さら言ったところでどうしようもない。

 グランヴェリテが放任主義で、人間の社会に介入しないことは、はるか昔から知られている。

 人間同士の争いも、喜びも、悲しみも、すべてを無言のままに見つめるのが、グランヴェリテという神だった。


 ――グランヴェリテ様がアマルダ側にいる以上、不利なのはどうしようもないわ。それでも、少しでもアマルダ・リージュに疑いを持たせないと、話を聞いてもらうことさえできないもの。


 アマルダへの絶対的な信頼がある以上、理屈を述べても相手の耳には入らない。

 薄い根拠でも、確証はなくても、まずは少しでも揺さぶって、凝り固まった思考を崩すのが第一。そこでようやく、説得の余地が出てくるのだ。


 ――だけど、それでも駄目なら……。


 そのときは、最後の手段。

 ブランシェット家と王家の力を借り、強引にエレノアを取り返すことになるだろう。

 そのための準備もすでに整っていた。


 ――民を守るための力を、民に向けることになるのね……。


 最悪の事態を思うと、緊張に指が震えた。

 それでも、覚悟を決めなければならない。

 放っておけば、無実のエレノアが犠牲になってしまうのだ。


 ――ここまできて迷ってどうするの!


 内心で叱咤すると、リディアーヌは迷いを振り払うようにツンと胸を張った。

 それから、弱い心を呑む込むように、紅茶のカップに口を付け――。



「――失礼いたします。先ほど、王家の代表として第二王子のユリウス様がご到着されたと報告がありました。我々もそろそろ移動した方がよいのでは?」


 ノックとともに入ってきた、レナルドの部下からの報告に、リディアーヌはカップを取り落とした。

 ガチャンと響き渡る甲高い音に、しかし目を向けている余裕はない。


「………………はい?」


 見開いた目で、ギギギと振り返るリディアーヌに、報告に来た神官がぎょっと肩を強張らせる。

 部屋の面々からも驚いた視線を向けられるが、誰よりも驚いているのはリディアーヌ自身である。


「第二王子? ユリウス様? ……王家からの代表として、がいらっしゃるの?」

「え、ええ……そう聞いていますが……」


 そう言ってから、哀れな神官ははっと気が付いたように口に手を当てた。

 第二王子、ユリウス。

 切れ者で知られるその王子は――――かつての、リディアーヌの婚約者だ。


「…………き」


 固まる神官を前に、リディアーヌは息を吸う。

 先ほどまで体を満たしていた緊張感も不安も、頭からすっかり抜け落ちていた。


「聞いてなくってよ――――!!!??」

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