5話

「どうせ、あなたもどなたかに聖女の役目を押し付けられたのでしょう?」


 口調はあくまでも柔らかいまま、神様は低く、冷たい声で言った。


「よくあることです。聖女に選ばれても、私の相手は誰もしたがりません。私は自分の姿も、あなた方の好みも把握しているつもりです。――醜いでしょう?」


 いいえ――と答えられたなら、本当の聖女になれたのかもしれない。

 だけど私は、神様の問いかけに、返事をすることができなかった。


 おそるおそる顔を上げ、窺い見る神様は――間違いなく、醜い。

 黒っぽい粘着質などろどろを纏う姿は、きっと誰が見ても目を背けたくなるだろう。

 身じろぎのように揺れるたび、どろどろとしたものが波打ち、日当たりの悪い部屋の中で奇妙に艶めく。

 離れていても感じる悪臭に、これ以上近づきたいとさえ思えない。


 生理的な嫌悪感、とでも言うべきだろうか。

 理性とはもっと別の部分で、目の前の存在に拒絶感を抱かずにいられなかった。


「罪悪感ならば、抱く必要はありません。高潔と評判の聖女たちも、誰もがみな言葉を交わすよりも先に逃げ出していきました。あなたのように押し付けられた者も、例外なく」

「…………」


 …………誰もが?


 神様の言葉に、少しだけ引っかかる。

 だって、これほど嫌われ者の神様だけれど――彼の聖女になった者は、少なからず存在するのだ。


 ちゃんと務め上げた聖女は、神殿に名前も残っている。

 言葉すら話せない神様の世話が、どれほど大変だったか――みたいな記録もある。

 なのに――。


 ――あれは、嘘だったの?


「あなたも、明日からは来なくて結構です。咎めはしません。罰を与える力も、私にはありません。――神殿には、適当な報告をするとよいでしょう。どうせ、誰もここまで確認には来ないのですから」


 低い神様の声を聞きながら、私は改めて部屋の中を見回した。

 うずたかく積もった埃。粗末な――もう、何十年、何百年も放置されたような、朽ちかけの家具。

 窓は薄汚れ、光は入らず、窓枠の木は腐り落ちている。


 ――前に無能神……神様に選ばれた聖女は、五年くらい前だったはず。


 その聖女は、途中で『他の神様に求められた』という理由で、無能神から別の神様の聖女になっていた。

 あの醜い神に誠実に仕えたからこそ、他の神も彼女を望まれたのだろう――なんて言われていたけど。


 ――……一度でも、掃除をしたようには見えないわ。


「……さあ、もう行きなさい。ここは暗く、見苦しい場所です。若いご令嬢が、いつまでもこんなところにいるべきではありません」

「そう……ですね…………」


 外へ促す神様に、私は素直に頷いた。

 ここは若いご令嬢どころか、真っ当な人の住む場所でもない。


「埃っぽくて、汚くて……こんなところにはいられないわ。私、とても耐えられそうにありません」


 口元を押さえつつ、私はそう言って神様に一礼した。

 本当に、こんなひどい場所。もう一秒だったいたくない。


「すみません。神様の言う通り、私、退室させていただきますね」


 それだけ言うと、もう振り返りもしない。

 逃げるように勢いよく、私は部屋を飛び出した。

 ――その、背後。



 


「……もう、二度と彼女はここに来ないでしょうね」


 神様がどこか寂しそうにそう呟き、体を震わせていたなど――――。




 ――――掃除用具っっっ!!! 箒! はたき! 雑巾!! あんな部屋、掃除しないと耐えられないわ!!!!


 掃除用具を探して、大股で神殿を駆け抜けていた私は、知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る