体調の悪い日(4)
「…………甘え」
エレノアに体の端を掴まれながら、彼は戸惑ったように呟いた。
甘え。あまりなじみのない単語だ。
誰かに甘えようにも、そもそも彼の周囲に『誰か』がいたことなどほとんどない。
せいぜいアドラシオンくらいなものだろうが、あの男とは甘えあう関係でないことは、記憶のない彼でも理解している。
だけど同時に――なんとなく、腑に落ちるような心地もある。
「………………」
エレノアは体を握りしめたまま、無言で彼を見据えていた。
不機嫌な表情であることは、目が見えなくともよくわかる。それでいて、怒っているわけではないこともわかっている。
エレノアの手の力は強いけれど、乱暴ではない。握り込んだ手は熱くて、体温のない彼の体に熱を分けてくれている。
その熱を、居心地悪く思う。落ち着かないと思う。
エレノアに気を遣わせることは申し訳なくて、寝ていれば治ることに手間をかけさせることに抵抗がある。
一人でいた方が、きっと互いに気楽だろう。
エレノアは余計な気を回さなくて良い。彼もエレノアに迷惑をかけずに済む。
エレノアのためを思うなら、このまま彼女を宿舎に帰すべきなのだ。
「――――いいえ」
それでも、彼はエレノアの手を振りほどくことができなかった。
エレノアは強引だが、嫌がることを無理強いはしない。頼めばすぐに手を離してくれるとわかっているのに。
「いいえ、エレノアさん。……そんなことはありません」
思えば最初からそう。
まだ一か月しか共にいなくとも、彼だって多少はエレノアのことを知っている。
弱った姿を見せた時点で、彼女が黙っているはずがない。
世話はけっこう――なんて気を遣わせる言い方をして、それで大人しく帰るはずがない。
本当に彼女を遠ざけたいのなら、もっとはっきりとした言葉を伝えるべきだった。
そうと知って、あんな言い方をしたのだ。
もしかしたら――――と、わずかな期待をして。
「私はきっと、もうずいぶんとエレノアさんに甘えているんですよ」
触れる熱は居心地が悪くて、心地よい。
落ち着かないのに、どうしてか心が楽になる。
体は相変わらず重たくて、意識はだんだんとおぼろげに遠ざかっていく。
このまま眠ってしまえば、エレノアはすることもなく部屋で暇な時間を過ごすことになるのだろう。
それでも、彼女の手を振りほどく気にはなれなかった。
次に目を覚ましたとき、彼女に傍にいてほしかった。
それできっと―――。
彼女なら、傍にいてくれるのだと思う。
退屈を持て余しながらも、もしかしたら少し不機嫌そうにしながらも。
部屋に満ちるのは、粥の香りと炎のはぜる音。自分以外の誰かの気配と、体に触れる手の感触。
温かな手に誘われるように、彼は今度こそ悪夢ではない、穏やかな眠りへと落ちていった。
――――――――――――――――――――――――
無自覚の神様の発言に、たぶん聞いているエレノアはすごい顔をしている……。
すごい顔をしているエレノアの横で神様は気付かずスヤスヤしている。
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