10話 ユリウス②、レナルド①
酔っ払いの喧騒を遠くに聞きながら、レナルドは夜空へ向けてため息を吐いた。
重たい体は、いつもよりもさらに重い。かといってどこかに腰を掛けられる状況でもなく、彼は立ったままテーブルに並ぶ肉を取って口にした。
美味い。美味いが、これは勝者の用意した、敗北の味である。
「……よく騒ぐ気になるな」
彼は祝勝会の片隅から、中心部の浮かれた喧騒に向けて呆れ交じりにぼやいた。
神殿を動かしていた人間たちはいなくなり、残されたのは下っ端ばかり。神殿の腐敗が明るみに出て、王家に頭も押さえつけられた今、先行きは不透明とさえも言えない。真っ暗だ。
こうなると、未だに神官の服を着ていることも馬鹿馬鹿しい。かといって、神殿に人生を捧げてきた彼に、他に着られる服もない。これまでの十六年を思い返すと食べなければやっていられなかった。
もっとも、食べたところで気は晴れない。気が晴れたことなんて、この十六年で一度もなかった。
それでも食べる手は止められず、肉を噛みながら愚痴を吐いたときだ。
「いい気なもんだ。こんなときに騒いでいる場合かよ」
「―――こんなとき、だからだ」
暗闇から、不意に割って入る声があった。
しかも厄介なことに、聞き覚えのある声だ。
「騒げるときに騒がせないと士気に関わる。誰もがお前みたいにがむしゃらになれるわけではない」
不遜な声の主が誰であるかは、振り返って確認するまでもない。
グラスを片手に近づいてくる男の姿に、レナルドは思わず「げ」と口の中で声を漏らした。
相手にその声は聞こえているのか聞こえてないのか。
暗がりから現れた端正な――しかし神には劣る美貌の男は、腹の読めない目でレナルドを眺めまわす。
「そうでなくとも、単純に鬱憤の溜めすぎは体に悪い。お前は身をもって知っているだろう」
「…………殿下。これはどうも」
特に腹のあたりを見つめる男――第二王子ユリウスの言葉には答えず、レナルドは形だけの礼を取る。
今さら、媚びへつらうのも馬鹿らしい。神殿は崩壊し、不本意な形であれ彼の目的は達成された。彼の女神は救われて、残されたのはなにも成し遂げられなかった、美貌の王子に嗤われるだけの太って醜い男ばかりだ。
「悪い食べ方をすると体を壊すぞ。ソワレも心配する――いや待て、そのソワレはなにをやっているんだ」
値踏みするようなユリウスの視線が、レナルドの腰のあたりで訝しげに止まる。眉間に皴を寄せ、半ば呆れたように肩を竦める彼の見たものがなんであるかは、レナルドにもよくわかっていた。
「…………あれからずっと離れないんですよ、こいつ」
苦々しくそう言って、レナルドもまたユリウスの視線の先に目を向ける。
体を少し捻り、視線を落とした先、見えるのは背後から己の腰にしがみつき、顔すら上げない小さな影だ。
この影こそは、重たい体をさらに重くさせ、椅子に座ることさえままならなくさせている元凶。押しても引いてもぴたりとくっついたまま離れない闇の神、ソワレである。
「今まで、人前じゃここまでくっつくことはなかったんですけどね。人目があっても気にしやしねえ」
おかげでずっと、レナルドは人気のない片隅のテーブルに張り付く羽目になっていた。
別に騒ぎに混じりたいとは思わないが、何人か様子を見ておきたい顔はあった。それもこうなってしまってはどうしようもない。
「ああ、なるほどな」
うんざりと頭を振るレナルドに、なにがおかしいのかユリウスは愉快そうに目を細める。
視線はソワレからレナルドへ。向けられる表情は、同情しているのか楽しんでいるのか、やはり掴みどころがない。
「らしくもない無茶をしたみたいだからな。ソワレの気持ちも、俺にはわからないでもない。今日くらいは好きにさせてやれ」
「好きにって言われましてもね……」
他人事だと思って勝手なことを言う。曖昧な返事をしつつも、レナルドは眉をひそめた。
いったいこの男は、なんの用で己に声などかけたのだろう。リディアーヌやソワレ、無能神の聖女エレノアと、まったく接点がないとは言わないが、それにしても浅い縁だ。
こちらは高位神官とはいえ、平民のいち神官。相手はこの国の王子で、今は神殿の征服者。話しかけられるいわれはない――というよりも、相手にとってレナルドは話しかける価値のない相手だ。
――しかもこいつ、一人かよ。護衛もいねえ。
穢れの対処のために一時的に協力はしても、神殿と王家の対立は根深い。どこに王家に恨みを持った人間が潜んでいるかわからないというのに、あまりにも迂闊すぎる。
まさか、ソワレを心配してのこのこ出向いてきたわけでもあるまい。なにか目的でもあるのだろうか――と思うのも馬鹿らしいおどけた顔で、この年下の王子はレナルドに笑いかける。
「あるいは、パーっと騒げばソワレの気も紛れるかもしれないぞ? お前はもう少し気を抜くことを覚えた方が良さそうだな」
「ああそうですか。抜けるもんなら気を抜きたいですけどね」
軽いようで諭すような言葉に、レナルドは形だけの礼儀も忘れて吐き捨てた。
気が抜けないのは、いったい誰のせいだと思っているのか。神殿を崩壊させた張本人に言われては、反発心も湧いてくる。
「こっちはそれどころじゃないんですよ。殿下は神殿を潰せて満足でしょうが、これだけでかい組織だと潰れただけじゃ終われない。つけなきゃいけない後始末ってもんがあるんです」
どれほど腐敗をしていようが、神殿は国民の信仰の支柱だ。神殿がなくなるとして、ただなくなるだけでは信仰も瓦解する。神々への信仰の矛先を新たに用意するのは、崩れゆく側の最後の役目だ。
神殿に残された聖女や神官、神殿兵たちも、このまま放りだすわけにはいかない。新しい行先を用意できればいいが、悪名が広がるだろう状況で、どこに引き取り手がいるだろう。
なまじ権力があるだけに、神殿の崩壊に抵抗する者もいるだろう。神殿への信仰心を利用して、民を先導して王家と対立しようと考える者もいるかもしれない。きれいな終わらせ方というものは、大きくなればなるほど難しくなる。
「なのに、殿下が始末をつけられそうな上の連中を全部引っ張っていってしまいましたからね。これから、どうするんだか」
「どうするもなにも」
レナルドの無礼言い草に気を悪くした様子もなく、ユリウスは半笑いで答えた。
「お前がいるだろう」
「あーあー、はいはい。殿下はそれでいいでしょうけど――――」
ユリウスの口調は相変わらず軽い。
また好き勝手なことを言っていると、レナルドは投げやりな相槌を打ちかけ――。
ふと妙な言葉だった気がして、眉根を寄せた。
「…………今、なんて言いました?」
「お前がいる、と言った。勘違いしているようだが、俺は最初から神殿を潰すつもりなんてない」
ユリウスはそう言うと、暗闇からさらに一歩、レナルドへと足を進めた。
喧騒の遠い、星明りの静かな夜。真正面に立つ王子の姿が蝋燭に浮かび上がる。
食えない美貌の王子の顔に浮かぶのは、笑みではない。
おどけてもいない。嗤ってもいない。冗談を言う様子もない。
「お前がこの神殿を立て直すんだ、レナルド・ヴェルス」
どこまでも本気の顔で、まっすぐにレナルドを射抜いていた。
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