11話 ユリウス③、レナルド②
一瞬、言葉が出なかった。
言わんとすることを理解するのに、少しの時間がかかる。
息を吐き、息を吸い、夜の空気に体を冷やして、レナルドはようやく口を開いた。
「…………本気で言っていますか? 俺が? 神殿を立て直す?」
「もちろん本気だ。神殿を立て直す。前よりも、もっと強く」
ユリウスの声に迷いはない。蝋燭の火に揺れる瞳には、確固たる意志が宿る。
気迫に思わず、足を引きかけていた。相手は己よりもはるかに細い、年下の男だというのに。
「もっと強くって……なんのために」
意地で引きかけの足を踏み留めると、レナルドはユリウスに問いかけた。
神殿を立て直したがる理由がわからない。神殿は王家と国の権力を二分する組織。王家にとっては、行動を妨げる足枷のような存在のはずだ。
だからこそ、王子であるユリウスは神殿を壊滅させたのではないのか。立て直すどころか強くしようなど、行動と矛盾しているとしか思えない。
そんなレナルドの疑惑を見透かしたように、ユリウスは目を眇めた。
「人間は馬鹿なんだよ。人間自身が思っているよりも、神々が思っているよりもな」
「は……?」
「俺が以前に転生したのは百二、三十年くらい前だ。国の滅びを止めるために神殿から姿を消したとき、どうなったか知っているか?」
百二十年前――と聞けば、レナルドにも思い当たることがある。
この国の歴史としては、一つの転換点。
……腐敗した前王朝が倒された時代だ。
「俺がまだ赤子のうちに、『我こそはアドラシオンの生まれ変わりだ』と名乗る人間が、王家の血筋から五人出た」
そして、自身の王位継承の正統性を主張し、それぞれ貴族たちを味方につけて争いあった。
相手を蹴落とし、自分こそが王になることだけを目的にしたこの争いは、民のことを顧みない。財力を得るために増税し、兵力を得るために無理な徴兵をし、敵勢力の力を削ぐため、野盗の振りをして街々を荒らした。
そこへ現れたのが、六人目の生まれ変わり。
王家の遠い分家筋であり、のちに現王家の祖となる、一人の年若い少年だったという。
「あのとき、俺の唯一の味方は神殿だった。貴族たちの争いに与さず、傷ついた民に手を差し伸べ、王家から狙われる俺を庇護したのが、かつての神官と聖女たちだ」
その話は、だけどいつしか真実が失われ、神殿が増長するための誇張された美談となった。
人間にとっての百年は長い。神殿に伝わる歴史と王家に伝わる歴史には大きな食い違いが生まれ、もはやすり合わせもできない。
たしかなことは、建国神アドラシオンの名のもとに前王朝が倒されたことだけ。
真相は神のみぞ知るところだ。
懐かしむように目を細め、真実を知る王子は酒の入ったグラスに口を付ける。
食えない顔の、建国神アドラシオンの面影もないような男のその表情だけは、人ならざる神らしい。
長い年月を積み重ねた存在としての、人間への冷徹さと諦念と――深い慈しみが覗いていた。
「人間は片足では歩けない。二本の足が必要なのに、馬鹿だから相手を置いて自分ばかりが前に出たがる。そういうときには、残った足が支えてやらなければならない。どちらが欠けても、人は前には進めないのだから」
静けさの中に、ユリウスの声だけが響く。
レナルドは口を挟めない。レナルドは腐っても神官。腐っても、神を奉じる神殿の人間だ。
挟む言葉などありはしない。
人を愛し、国を愛し、人の歩みを愛したからこそ神の座を捨てた男に、彼が向けられるのは深い畏敬の念だけだった。
「神殿が足を下ろした今、次に前に出るのは王家の方だ。今は良くても、二十年、三十年もすれば人も入れ替わる。五十年、百年もすれば過去も忘れる」
そして待ち受けるのは、再びの腐敗だ。
息を呑むレナルドに、ユリウスはグラスから口を離して顔を上げる。
「俺は兄上――人間の兄から、神殿についての全権を任されている」
浮かぶ表情は、もはや神とも王子ともつかない。
やはり腹の読めない不敵な顔で、ユリウスはさらに一歩近づくと――。
「俺とお前で、いずれまた荒れるこの国を、支えるに足るだけの基盤を作るんだ」
目的を道半ばで喪失し、足が止まりかけていたレナルドの背を押すように、巨体の腹を拳で小突いた。
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