11話

「――ほんっとにムカつくわ! あのデブ神官!」

「たしかあの人、神殿上層部のお偉いさまでしょう? なんでそんな人が、下位の聖女用の食堂なんかに来ているのって話よね!」


 食堂を放り出され、宿舎に向かう道すがら。

 マリとソフィは、苛立ったように背後の食堂を睨みつけた。


「ちょっと騒いだからってなによ! えらっそうに!」

「ほんとほんと! 少しくらい大目に見たっていいじゃない!」


 食堂を出て以降の二人の会話は、もっぱら神官たちの悪口だった。

 最近は穢れ騒動のせいで神官も聖女もピリピリしていて、なにかと衝突も少なくない。

 おかげで二人も、ずいぶんと鬱憤がたまっているらしい。


「穢れの原因を調べるっていうけど、要はあの神官、私たちのこと疑ってるのよ! アマルダにはヘコヘコするくせに、ありえないわ!」

「マリの言う通りよ! 神官が聖女を疑うなんて信じられない!」

「疑うくらいなら聖女にするなって話よね! あーもう! ほんとあいつ嫌い!」


 あまり品のよくない悪口を、私は止めるでもなく聞き流す。

 盛り上がる二人から少し離れて歩きつつも――正直なところ、話題が逸れてくれたことに、内心でほっとしていた。


 ――やっぱり、相談しなければよかったわ。


 夏にしては冷たい夜。

 乾いた地面を踏みながら、私は一人息を吐く。


『――意識して、なにが悪いのよ』


 前を歩く二人の騒ぎ声も、今は耳から抜けていくだけだ。

 代わりにずっと、マリの言葉が頭を占めている。


『無能神だからイヤってわけじゃないんでしょう?』


 ――そうね。


 記憶の中の声に、私は内心で肯定する。


 ――神様が嫌なわけじゃないわ。


 もちろん私の乙女心的には、同じベッドで寝ろと言われて、すぐに頷けはしない。

 狭い部屋の中、いきなり一緒に暮らせと言われたら抵抗はある。

 だけどそれは『無能神』だからではない。きっと他の神々が相手だとしても、やはり私はためらっただろう。


 ――嫌じゃないから困るのよ。


 自分でも知らず視線を落とし、私は暗い足元を無言で見つめた。

 この生活は、いつまで続くだろうか――と思いかけ、またひとつ息を吐く。


 最初は不本意だった神様との生活は、意外なくらいに心地が良かった。

 神様は優しくて、見た目も慣れればなんということもない。

 ぷるんとした体には感情があり、喜びも戸惑いも見ていればわかる。


 私の話を聞きながら、微笑むようにたゆたう体。

 気遣わしげに体をくねらせ、こちらを覗き込む姿。

 ときどき思いがけないことをする彼に、ドキリとさせられるのも――戸惑うけれど、嫌だと思ったことはなかった。


 ――でも。


 私は内心で首を振る。

 私はあくまでも偽聖女で――アマルダの代理にすぎないのだ。




 マリたちと別れ、宿舎の自室に戻ったあと。

 私は暗い部屋の中、備え付けの机の上に目を落とした。

 机の上にあるのは、乱雑にまとめられた手紙の束だ。


 一番上にあるのは――先日、父から届いたものだった。

 その手紙の一文を、私は睨むように見据える。


『エリック・セルヴァン君との話し合いの日取りが決まった』


 神様との生活は心地よい。

 だけど、ずっとここにはいられない。

 私は選ばれた聖女ではなく、エリックの婚約者だ。

 聖女の道を諦めてからずっと、私はこの結婚を目標に生きてきたのだ。


 ――ここが正念場よ。


 一人きりの静かな部屋で、私は覚悟を込め、ぐっと両手を握りしめた。

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