11話

 どうされましたもなにもない。

 目の前の神様こそが、私を悩ませる張本人である。


 丸一日たっても神様は人の姿のまま。ただし原因不明、記憶なし。

 そのうえ、一昨日この部屋から出て行ったエリックは、その後行方不明ときた。

 これでどうかされない方が無理である。


 だというのに、神様本人にはその自覚がさっぱりない。


「今日、部屋に来てからずっと上の空でしたよ。なにか困り事があるのですか?」


 テーブルを挟んで向かい側。

 私の正面に座っていた神様が、ずい、と前のめりに身を乗り出す。

 そのままぐっと顔を寄せられれば、ほとんど鼻先に神様の顔がある。


 近すぎる距離に、私はぎくりと身を強張らせた。

 息をのむほどの美貌と距離感に、少し前までの悶々とした思考が頭から追い出される。


「エレノアさん?」


 甘いくらいに柔らかな神様の笑みに、代わりに頭を占めるのは、別の悶々とした思考だった。

 ドキドキしている自分の心臓に気付き、私は思わず目を逸らしてしまう。


「本当に、どうされたんですか。顔も見ていただけませんし、目が合ってもすぐに逸らされてしまって」


 そんな私を見て、神様は笑みを曇らせた。

 声はしょんぼりとしていて、それだけだと以前の神様と変わりない。


 以前の――黒くてまるんとしたあの姿であれば、きっと今ごろ、寂しそうにぷるんと震えていただろう。

 だけど今の彼は、肩を落として頭を振るだけだ。


 そのしぐささえ、神様は妙に様になる。

 目を奪われてしまいそうになるからこそ、私は彼に視線を向けられなかった。


 ――だって、どんな顔をすればいいの。


 相手は、少し前までぷにぷにだった神様なのに。

 真っ黒でよく伸びて、つつけば困ったように震えていた神様だったのに。


「触れてもくださいませんよね。いつもなら、穢れを払うためにエレノアさんから触れてくださるのに」


 そう言いながら手を伸ばす神様は、立派な男性の姿をしているのだ。

 指は細く長く、少し骨ばっている。触れようとする手は遠慮がちで、それでいて迷いない。

 ためらうことなく、彼はテーブルに置かれた私の手に触れようとして――。


「け、穢れはまた明日! 明日で!!」


 触れられる寸前、私は慌てて手をひっこめた。

 そのまま守るようにもう一方の手で握り合わせ、私は誤魔化すように視線をさまよわせる。

 心臓の鼓動がますます早くなる。神様の顔が見られない。


 ――前は平気だったのに……!


 神様の姿を見るのはもちろん、触れるのも触れられるのも平気だった。

 穢れを払うために指でさんざんつついたし、そうでなくとも摘まんでぐにっと引っ張った。

 なのに今は、彼の顔をまっすぐに見ることができない。


 ――こ、これじゃあ、姿が変わったから意識しているみたいじゃない!


 そんなつもりはない。

 そんなつもりはないと思うのに、私自身、明らかに前と態度が違うのを自覚していた。


 ――み、見た目で判断しているわけじゃないのよ! そりゃあ、美形の方がいいけど!


 いいけど!

 顔が良くて損することなんてないけど!!


 ――でも。


 そうじゃなくても良かったはずだ。

 見た目なんて関係ない。

 黒くても丸くてもぷるんとした不定形でも、神様なら――。


 そう思っていたつもりなのに。


「エレノアさん」

「ひょあい!!?」


 考えに沈んでいた私を覗き込む神様に、変な声が出る。

 私を映してゆっくりと瞬く彼の瞳に、目が奪われそうになる。

 きれいな顔に見惚れそうになり、再び目を逸らしてしまう私を、神様が傷ついたように見つめていた。


「すみません、勝手に触れようとして。……お嫌でしたか?」

「い、いえ……!」


 嫌かと言われたら――嫌だったわけではない。

 神様が謝る必要もなく、悪いのはどう考えても意識しすぎな私なのだ。


 だけど、本当のことなんて言えるはずがない。

 私はどうにか言い訳を探し、目を逸らしたまま口を開く。


「ええと、か、考え事をしていたんです。そう、エリックのことを考えていたんです! それで驚いて、つい手を引っ込めてしまいました!」


 とっさに出てきた言葉は、少し前まで実際に悩んでいたことだった。

 嘘ではないだけに、私の声も勢いづく。

 それに彼のことは、神様も知っているのだ。一昨日の話とあれば、彼にも伝えておくべきだろう。

 そう思い、私はようやく神様に視線を向け――――。


「彼、一昨日この部屋に来たあとから行方が知れないんです。なんでも、穢れに襲われたらしくて、それで気になって考え込んでしまって」

「エリックさんが」


 神様の表情に、はっと息をのむ。


「穢れに。そうですか」


 彼の声は静かだった。

 表情も同じ。静かすぎるくらいに静かな表情に、感情が見えない。

 ただ、なんてことないように、彼は一昨日エリックが出て行った扉を見やり――。

 一言、短く呟いた。


「やっぱり」


 …………『やっぱり』?

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