25話

 呆然とする私の前で、マティアス様は言葉を続ける。


「あの無謀な神官たちでも、助けないわけにはいきません。行けますね、ソワレ様?」

「…………うん」


 ソワレ様は小さく答えると、重たげに頭を持ち上げた。

 マティアス様を見るソワレ様の顔は、すでに元の美貌に戻っている。

 黒く染まっていた両腕も、今は血の気が引いているだけで、真っ白な肌の色を取り戻していた。


「行く……」


 ふらりと立ち上がるソワレ様の肩を、支えるようにマティアス様が掴む。

 そのまま立ち去ろうとする二人に、私は反射的に声を上げていた。


「ま、待って待って! その状態のソワレ様を連れていくつもりです!?」


 元の顔に戻ってはいるものの、ソワレ様の顔色は明らかに悪い。

 足取りもフラフラで、マティアス様が支えていなければ今にも倒れてしまいそうだ。

 だいたい、彼女は少し前まで起き上がることさえできなかったのだ。

 それは、マティアス様にも見えていたはずなのに――。


「無茶です! せめて、少し休ませないと……!」

「休ませて差し上げたいのは、僕も同じ気持ちだ、エレノア君」


 マティアス様はソワレ様の肩を抱いたまま私に振り返り、申し訳なさそうに首を振る。


「だけど、そういうわけにもいかない。穢れを払えるのはソワレ様だけで、他の誰も代わりがいないんだ」

「そう……ですけど……!」

「ソワレ様がやらなければ、どれほどの被害が出るかわからない。それとも君は、目の前の彼らを放って逃げられるのかい?」


 悲鳴は未だ、響き続けている。

 魔法の破裂する音に、必死に立ち向かう神殿兵たち。

 だけど、押されているのは明らかだ。

 このままだと、大きな被害が出るのは目に見えている。


 マティアス様の言うことは、間違っていない。

 事実として、今この場で頼れるのはソワレ様だけなのだ。


 ――じゃあ、このまま行かせるっていうの!?


 できない。させたくない。

 でも、どうすれば――――。


『――こっちは人間様だ』


 ぐっと奥歯を食いしばり、必死に考える頭の中。

 どうにかして思い出したのは、腹立たしい男の傲慢な言葉だ。


『神の力なんざ頼らなくたって、穢れなんてどうとでもなるんだよ』




「…………レナルド」


 記憶の中で、にちゃりと笑いながら指を突きつけた男の名前を、私は知らず口にしていた。

 あの男に頼るのは癪だけど――すごく悔しいけど。

 あれほど偉そうに言っておきながら、明らかに神殿兵たちは穢れに押されている――けど。


 ――わ。


 ただ蹂躙されるだけではない。

 怯ませ、足止めをし、少なくとも被害を出さない程度には――穢れの相手をできているのだ!


「レナルドが言っていたわ。人間の力でも穢れをどうにかできるって!」


 そう。思い返せば、最初から知っていたはずだった。

 ここは神々に守られた特別な場所。神々のご加護おかげで、魔物も穢れも現れない。

 だけど、


 神々の少ない他国では、神様の力は頼れない。

 彼らは自分たちの力で穢れを払い、魔物の侵攻を防いでいるのだ。


 ――そう、そうだわ……!


 知らず、こぶしに力がこもる。

 期待に私は立ち上がり、マティアス様の背を追いかけた。


 今のソワレ様に無茶をさせなくても大丈夫。

 休ませて差し上げることができるはずだ――と。


「ソワレ様に頼らなくても、穢れを払えるはずなのよ! レナルドはその方法を知っているんだわ! だから――――」

「そんなわけないだろう!!」


 ――思ったのに。


「ソワレ様のお力なく? 神に頼らず人間の手で?」


 振り向いたマティアス様の表情に、私は息を呑む。

 そこにいるのは、穏やかで優しい王子様――なんかじゃない。


 ソワレ様を掴む手に、力が込められている。

 痛そうに顔をしかめるソワレ様の姿が、今の彼には見えていない。

 私を見据える目には――こちらが怯むほどの、強い怒りが滲んでいた。


「そんなことができるはずがない! 許されるはずがない! この神殿を救えるのは、ソワレ様だけだ!!」


 血走った眼に憎しみさえ感じるほどの怒りを宿し、彼は声を張り上げる。


「僕がソワレ様の聖女だ! 僕がいなければ、穢れは払えないんだ! これだけは他の誰にもできない! できてはいけない! 君にも、あいつにも――他の神にだって!!」

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