26話
「――行きましょう、ソワレ様」
荒い息を一つ吐くと、用は済んだとばかりにマティアス様は背を向けた。
「このままでは、神殿は穢れに呑まれてしまいます。僕たちがやらなきゃいけないんです」
「…………ん」
強引に肩を引くマティアス様に、ソワレ様は逆らわない。
引かれるがまま、マティアス様と一緒に穢れに向かって歩き出す。
騒乱の中心。土埃の影へ消えていくソワレ様に、私は慌てて足を踏み出した。
「待って! 待ちなさい!!」
どう考えても、今のソワレ様を行かせるわけにはいかない。
なんとか引き留めようと、魔法の渦巻く中へ駆けだそうとする――が。
「馬鹿! 待つのはあんたよ、エレノア!!」
「穢れの中に突っ込む気!? 自殺行為だってば!!」
傍にいたマリとソフィが、慌てたように私の体にしがみつく。
二人がかりで羽交い絞めにされ、それ以上足を進められない。
「でも! ソワレ様が!!」
「ソワレ様は気になるけど! 突っ込んでどうするのよ!? あなたが死んだらどうしようもないじゃない!!」
「そうだけど……!」
ソフィの言うことは正しい。
私一人がこの状況で突っ込んで、いったいなにができるだろう?
群れる穢れに呑まれるか、必死に戦う神殿兵の邪魔になるだけだ。
――そんなこと、わかっているわ。
わかっているけど――それなら、ソワレ様を見殺しにするっていうの!?
「リディアーヌ! あんたからもなにか言って! この馬鹿を止めるのよ!」
あきらめきれない私の肩腕を抱き留めながら、マリは近くにいるはずのリディアーヌに呼びかけた。
その呼びかけに、私も思い出したように声を上げる。
「リディ! ソワレ様を助けないと!」
ソワレ様を助けたいと思っているのは、私だけではない。
私を止めるマリやソフィだって、あのソワレ様を行かせていいと思っているわけではないと、わかっている。
ただ、彼女を引き戻す方法が見つからないだけなのだ。
――リディなら。
なにかいい方法を考えられるかもしれない。
あるいはアドラシオン様の聖女として、マティアス様や神官たちを説得できるかもしれない。
かすかな期待を込め、私はリディアーヌに目を向け――。
「リディ、お願い――――……リディ?」
「…………あ」
彼女の目が、私たちを見ていないことに気が付いた。
横でこれほど騒いでいる中でも、彼女の目はまっすぐに食堂の外――兵たちが入り乱れる騒動の中心に向かっている。
「ああ……まさか……なんてこと……!」
「リディ? なにを見て――――」
反射的に、私はリディアーヌの視線の先を追った。
土煙と、絶え間ない魔法の音が響く戦場。
ソワレ様の向かった先。
無数の穢れが蠢いているであろう、その場所に――。
あるのは、巨大な一つの闇だった。
見上げるほどの巨大な闇に、吸い寄せられるように穢れが集まっている。
闇の表面はどろりと――いや、どくんと揺れている。
――胎……動……?
どうしてそう思ったのかはわからない。
ただ、予感があった。ほとんど確信に近い、最悪の予感。
魔法の音は聞こえなくなっていた。
土煙は薄くなり、余計にその姿がよく見える。
山のように盛り上がり、他の穢れを吸い上げる黒塊。
沈みかけの日に照らされ、ぬらりと脈打つ表皮。
その先端に、亀裂が入る。
薄皮を剥くように、べろり――と。
――――生まれる。
破れた穢れの膜から、冷たい赤い瞳が覗いている――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます