24話

「――直接触るな! 魔法を使え! 触ると呑み込まれるぞ!!」

「で、ですがレナルド様! 魔法もあまり効き目がなく……!」

「くそっ! できないはずはないんだ! もっと魔力を集めろ!!」


 神殿兵たちの間から、レナルドの喚く声がする。

 穢れに立ち向かう兵たちは及び腰だ。

 触れれば呑まれる穢れに剣は通じない。武器を呑まれ、兵たちが叫び声を上げる中、なにか魔法が破裂する音がした。


 大規模な魔法に、穢れのいくつかが怯んだように動きを止める――が、それだけだ。

 どろどろと粘り気を巻きながら、再び動き出す穢れに悲鳴が上がる。


 人々は逃げまどい、兵たちが声を張り上げ、魔法の弾ける音が止まない。

 魔法で土煙が上がる中、蠢く穢れはどこかを目指すかのように、蛇行しながら這い進む。

 進路にあるものを押しつぶし、呑み込みながら。


 ――なにが……起こっているの……?


 ソワレ様を半ば抱き上げたまま、私は呆然と目の前の光景を見つめていた。

 驚きの声すら、口から出てくることはない。

 おそらくは、この食堂にいた全員が私と同じ気持ちでいたのだろう。

 この騒乱の中、誰かが息を呑む音だけが、奇妙なくらいに鮮明に聞こえた。


 ――どうすれば……。


 逃げる? どこへ?

 ソワレ様を連れて?


 ソワレ様は小柄で、おそらく体重も軽い方だろう。

 それでも、穢れがこれだけいる今の状況。私一人で抱えて逃げられるとは、とても思えなかった。


 ――それなら、食堂にいる男の人に協力してもらう? でも、今のソワレ様は……。


 伏せたままの彼女の顔が、今どうなっているのかはわからない。

 だけど、服の裾から覗く腕は黒い。体の柔らかさも――きっと、触ればすぐにわかってしまう。


 ――どうしよう……。


 大きくなる喧騒に、焦りが募っていく。

 逃げないと、という気持ちと、ソワレ様を置いていけないという気持ちに挟まれ、私は縋るように周囲を見回し――。


「――ソワレ様!!」


 逃げる人々を搔き分け、こちらに向かってくる人影に気が付いた。


「ソワレ様、ご無事ですか!?」


 血相を変えて叫ぶのは、淡い茶色の巻き毛をした男の人だ。

 少し垂れがちな目をした、目を見張るほどの美貌の――『王子様』。


「マティアス様!」


 いつもは優しげな顔を歪ませ、わき目も振らずに駆け寄ってくる彼の姿に、私は目を見開いた。

 それからすぐに、その目元を安堵に歪ませる。

 良かった――と知らず口から漏れていた。


「エレノア君? それに、リディアーヌ様たちも!?」


 マティアス様はソワレ様の前で足を止めると、驚いた顔で私たちを見回した。


「いったいなにがあったんだ? ソワレ様は……!」

「穢れに襲われて、ソワレ様に助けていただいたんです! でもそれで、ソワレ様が倒れてしまわれて……!」


 言いながら、私は力ないソワレ様に視線を向ける。

 ソワレ様は相変わらず顔を伏せたまま、荒い呼吸を繰り返していた。

 体に力が戻った様子もなく、マティアス様が目の前に来ても、立ち上がる気配もない。

 今にも力尽きそうな彼女の姿に、私は唇を噛んだ。


 ――でも、マティアス様が来てくださったから……!


 これでもう大丈夫だ。

 聖女であるマティアス様なら、ソワレ様の穢れを払うことができる。

 そうでなくとも、彼女をどこか安全な場所に逃がしてくれるに違いない。


 私の手を払ったソワレ様も、マティアス様の言うことならきっと耳を傾けてくれるはず。

 だって彼は聖女で、ソワレ様の『王子様』なのだ。


 ――ソワレ様を助けられる。


 そう思うと、安堵で体から力が抜けていく。

 安心できる状況でもないのに、思わずほっと息を吐いていた。


「ソワレ様が……そうか、君たちが無事でよかった」


 壊れた扉と、どろりと残る穢れの痕跡を一瞥し、マティアス様は合点がいったようにうなずいた。

 それからソワレ様の傍で膝をつき、うつむく彼女の顔を覗き込む。


「ソワレ様も」


 優しい声で、優しい瞳で――『王子様』の笑みで、黒く染まったソワレ様にこう言った。


「…………」

「では、次の穢れに当たりましょう、ソワレ様。早くしないと、神官たちが穢れに捕まってしまいます」


 ――…………えっ。

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