3話

 ロザリーの一件から数日。

 穢れが出たということで、神殿は上を下への大騒ぎだった。


 なにせ神々に守られたこの国は、穢れなんて存在しないはずなのだ。

 それも、神々に最も近いはずの神殿で、清らかな聖女から穢れが出たなんて、問題どころではない。

 国を揺るがす大事件である。


 おかげさまで、当事者である私は連日のように神官から呼び出しを喰らっていた。

 こっちの都合も聞かずに呼び出されては、神殿の偉い人の前に連れていかれ、同じ話を何度もさせられる日々。

 しかも特にねぎらいの言葉はなく、むしろ『嘘を吐いているに決まっている』『穢れなどあり得ん、見間違いだ』『無能神の聖女など信じられるか』などと好き勝手に言われる始末である。


 ――だったら、どうして呼び出すのよ!!


 などと、今日も朝一番に神官に呼び出され、怒り心頭で神殿の一室を後にした――なんてことは、しかし今は重要ではない。


 実は神殿は、穢れの件を内々に処理するつもりだったらしいということも、それが王家に知られて、これまた大問題に発展していることも、今後の対応で神殿内部が割れているとかいう話も――――。


 この際、今はどうでもいい。

 どうでもいいことなのである。




「――エレノアさん、お疲れ様です」


 神官たちの事情聴取を終え、へろへろになりつつ訪ねた神様の部屋の中。

 ぐったりと椅子に座る私の前に、カチャンと紅茶の注がれたカップが置かれる。


 置かれた瞬間は見ていない。

 一瞬目を逸らした隙に、いつの間にかそこにあった。


 ――ええと……。


 紅茶からは、淡い湯気が立ち上る。

 いかにも温かな紅茶の水面を、私は無言で見つめるしかなかった。


「最近はお忙しそうですから、今日は無理をなさらず。私の世話も結構ですから、まずはお茶でも飲んで落ち着きましょう?」


 背後から聞こえるのは、いつも通りぽやんとした神様の声だ。

 だけど聞こえてくる高さが違う――気がする。


 神様の背の高さは、私の腰くらいまでしかないはずだ。

 なのに今は、もっと上から聞こえている……ような……。


「…………あの」

「なんでしょう? ……ああ、砂糖がありませんでしたね! すみません、あまりこういうのに慣れなくて」


 少し待っていてくださいね、という少し慌てた声とともに、背後で誰かが動く気配がする。

 いつもの神様の気配とは、やはりなにかが違う。

 丸い体がのっそりと動くのではなく、なんだかまるで、二本足で歩いているような気が――。


「……」


 温かい紅茶のカップを両手で握り、しばし煩悶。

 紅茶の香りはかぐわしく、澄んだ赤い水面が美しい。

 目で見るだけでも、私が淹れるよりずっと美味しいのだろうとわかってしまい、若干落ち込んでしまうことはさておいて――。


 ――紅茶のセット、使わないから棚の奥にしまっておいたはずなのに。


 家具と一緒に、リディアーヌは食器や手燭など、こまごまとした雑貨も送ってくれていた。

 その中の一つに、紅茶のセットがあったのは事実。

 ありがたく受け取ったのはいいけれど――そもそも、神様の部屋には湯を沸かすかまどがないと気が付いたのは、それからすぐのことだった。


 そういうわけで、使い道のない茶器は、一式まるごとしまい込まれてしまう羽目になったのだ。

 ……今後使う機会もなさそうだということで、神様どころか私も手の届かない、棚の一番上に。


「………………」


 ――やっぱり、これ、絶対おかしいわよね!!??


 あの黒くてまるんとした体で、神様は意外に器用だ。

 体の一部を伸ばして、パンも掴むしカップからスープも飲む。

 椅子を引いたり、棚の戸を開けたりと、まあまあなんでもこなせたりする。


 だけどさすがに、紅茶はない。

 茶器の場所はもちろん、お湯をどうやって沸かしたのかという問題だってある。

 だいたい、砂糖だって棚の高いところにあって、神様の背では届かないはずなのだ。


「か、神様!」


 私は耐え切れずに立ち上がった。

 いったいなにがどうなっているのか、問いただしてやろうと神様に振り返り――。


「エレノアさん? どうされました――――わっ!?」


 と神様が声を上げたのは、神様の上に砂糖入りの瓶が落ちてきたからだ。


 頭の中でぽよんと跳ねる瓶を受け止め、気恥ずかしそうに身を縮める神様に、私は続く言葉を呑みこんだ。

 目の前にいるのは、どこをどうとっても人ではない。

 黒くてつやっとまるい、いつも通りの神様の姿であった。

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