9話 ※リディアーヌ視点

 国中に穢れをばらまいた極悪人、エレノア・クラディールが捕まった。

 聖女を偽り神殿に入り込んだその女は、『無能神』を利用して穢れを生み出していたのである。


 エレノアによって悪神に堕とされた無能神クレイルは、自身が穢れの発生源となることに心を痛めていた。

 魔物が発生した夜、穢れに襲われる人々を守ったのは、せめてもの彼の償いだ。

 一見すると穢れを払っているように見えたあの行為は、実は自らが生み出した穢れを体に戻しているだけだったのだ。


 このエレノアの悪行を二人の聖女、アマルダ・リージュとマティアス・ベルクールは見逃さなかった。

 魔物を払う無能神の姿に、真実を見抜いたマティアス。

 他の誰もが否定したマティアスを信じたアマルダ。

 真の聖女たち無能神の部屋を訪ねたとき、すべては明らかになった。


 エレノアに虐げられていた無能神は、アマルダに救いを見た。

 無能神は自らを保護してくれるようアマルダに懇願し、アマルダはこれを承諾。

 エレノアの身柄を拘束後、無能神はアマルダの住まう最高神の屋敷に招かれ、つらかった日々の傷を癒しているという。


 不幸中の幸いと言うべきは、エレノアの悪事によって穢れをばらまかれた無能神は、人の姿を取り戻していたことだろう。

 とはいえ、元は醜い泥のような化け物だ。

 そんな無能神を守るために告発したマティアスの正義感と、温かく迎え入れたアマルダの優しさは、まさに聖女と呼ぶにふさわしい――。




「――とまあ、こういう筋書きだそうですよ」


 淡々と語り終えると、大男は難しい顔で首を振った。

 神殿の外れ、『無能神』ことクレイルの部屋の中。

 家主の居ないその部屋で、彼は――高位神官レナルドは、太い腕を組んで息を吐く。


「マティアスとアマルダ様の都合に寄せたんでしょうね。この筋書きで報告して、王家の追及をかわしたいんでしょう」


 窓から覗く空は、すっかり夕焼けに染まっている。

 日当たりの悪い室内は薄暗く、しかしリディアーヌには明かりをつける気も起きなかった。


 頭の中が熱を持っている。

 苛立ちを抑えきれず、彼女は震える拳を握りしめた。


 クレイルの部屋を訪ねたのは午前中。

 約束したはずなのに家主も聖女であるエレノアも不在で、慌てて探し回ること半日。

 日が暮れるまで駆けまわって、ようやく得られた手掛かりが、レナルドの告げた内容だ。

 冷静でいられるはずがない。


「ふざけないで! そんな作り話、認められるわけがないわ!!」


 リディアーヌは声を荒げると、自らが贈ったテーブルを叩いた。

 ギッと睨みつけるのは、ともにエレノアの行方を探し回ったレナルドだ。

 昨夜の一件以降、エレノアの力になろうとしてくれている彼を責めるのはお門違いとは思いつつも、口調が無意識に荒くなってしまう。


「昨夜のことは、見ていた人が大勢いるのよ!? 嘘なんてすぐにバレるに決まっているわ!!」


 昨夜の魔物騒動は、被害が大きかっただけに目撃者も多い。

 多くの人間がクレイルに助けられていたし、クレイルがエレノアを助ける姿も見ていた。

『エレノアに虐げられていた無能神』が嘘であることは、あの場にいた全員がわかっている。


「それで誤魔化せると思って!? アマルダ・リージュの言葉なんて誰も信じるはずがなくってよ!!」

「…………いや」


 憤るリディアーヌを、しかしレナルドの短い言葉が否定する。

 自分とは対照的に落ち着き払ったその声に、リディアーヌはぎくりとした。


「たぶん、こうなった以上はそう簡単にはいかないと思いますよ、リディアーヌ様」


 思慮深い彼の目は、リディアーヌの熱を冷ますかのようだ。

 思わず口をつぐむリディアーヌを一瞥すると、彼は嘲笑うように顔をしかめた。


「この状況、神殿としちゃかえって好都合でしょう。この話を同僚から聞き出したとき、一緒に警告を受けましたよ。『余計なことを考えるな。黙っていろ。これは上の決定だ』とね」

「…………『上』」


 同僚――となれば、相手はレナルドと同じ高位神官だ。

 高位神官は、いずれの神殿の幹部候補。彼らが『上』と呼ぶ相手は限られている。


 神殿の幹部。神殿における最高権力者たち。

 彼らの決定ということは、すなわち――。


 ――『神殿』自体の決定ということだわ。


 レナルドが言っていた通り、神殿の腰は基本的には重い。

 幹部間で意思を確認し合い、総意を出さない限りは動けない組織だ。

 だからこそ、エレノアに疑惑が向けられても、強硬手段に出ることはないだろうと想定していた。


 でも、とリディアーヌは考える。

 おそらく、エレノアを捕まえたのはアマルダとマティアスの独断だろう。

 最高神の聖女アマルダと、序列二位で貴族としても力のあるマティアス。彼らが相手であるならば、神殿が相手としては十分だ。


 神殿が利用しようとしているのは、エレノアだけではない。

 アマルダもマティアスも、神殿にとっては同じく『好都合』な道具なのだ。


 エレノアが元凶ならば、それでよし。

 もしも間違っていても、その場合は神殿も『騙された側』になれる。

 神官たちの口をつぐませれば、真相を知っていたことも伝わらない。

 よしんば告発する神官が出たとしても、一人二人なら握りつぶせるくらいの力が神殿にはある。


「今の神殿は、穢れの問題で追い詰められているんです。王家や民衆の批判をかわすには、『やっている』と思わせることが必要でしょう。――たとえそれが、見せかけだとしてもね」


 押し黙るリディアーヌに、レナルドは皮肉な笑みを浮かべた。

 そのまま吐き出すのは、冷静で隙のない彼らしくもない、明確な神殿への嫌悪感だ。


「アマルダ様だけを責めてもどうにもならないんですよ。腐っているのは神殿そのものなんですから」

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