10話 ※リディアーヌ視点

 ああ、とリディアーヌは嘆息する。

 エレノアが捕まったというのに、どうしてレナルドがこうも冷静でいられるのかがわかってしまう。


 ――……もう、彼の力ではどうにもならないんだわ。


 レナルドは神殿側の人間だ。

 神殿内部のことであれば融通を利かせられるが、『神殿』という組織そのものの決定を覆すだけの力はない。

 昨夜、エレノアに向けて『できるだけのことはする』と言ったのは、きっと本心なのだろう。

 だけどこうなってしまった以上、彼に『できること』はなくなってしまったのだ。


 そして、それはリディアーヌにとっても同じことだ。


 ――わかっていてよ。


 薄暗がりの中で、リディアーヌはいつものように胸を張ることもできず、両手をぎゅっと握り合わせた。

 悔しさに唇を噛んだところで、妙案が浮かぶわけもない。

 絶望的な感情が、静かに彼女の心を満たしていく。


 ――わたくしにも、神殿そのものと戦う力なんてないわ。


 アドラシオンの聖女の座も、公爵令嬢の身分も、王家に並ぶほどの力を持つ神殿を相手には力不足だ。

 あちらに最高神の聖女であるアマルダがいる以上、アドラシオンの言葉も届かないだろう。

 それどころか、そもそも今の神殿に、神の言葉を聞く気があるかどうかさえ、リディアーヌにはわからなかった。


 ――それでも。


 実家の――ブランシェット家に頼るのはどうだろうか。

 あるいは王家に縋りつけば、力を貸してくれないだろうか。

 王家が交渉相手となれば、神殿も無視はできない。

 それなら、エレノアを助けられるかもしれない――。


 ――いえ。


 そんな期待を、リディアーヌ自身が否定する。

 公爵家の人間としての、かつての王子妃としての、合理的で冷徹な思考が呼び掛ける。


 ――


 王家の力を借りるとは、国を動かすということだ。

 神殿に交渉するとは、国と神殿を対立させるということだ。


 リディアーヌが疑われていたときとは状況が違う。

 すでにエレノアは神殿の手中。犯人役を押し付けるのに都合の良い彼女を、簡単に手放すとは思えない。


 ただでさえ、王家と神殿は長い間対立してきた組織。

 下手な交渉をすれば、国そのものが傷を負いかねない。


 そんなことをリディアーヌの個人的な感情でして、許されると思っているのだろうか?

 エレノアという存在に、国を賭けるほどの価値はあるのだろうか?


「…………」


 握りしめた手を胸に当て、リディアーヌは目を落とす。

 暗い部屋に浮かび上がる、自分の贈ったテーブルに椅子。棚もベッドも大切に使われているのに、まっすぐに見つめていられない。


 渦を巻くような迷いが、リディアーヌに決断をためらわせる。

 ためらう自分自身に吐き気がする。

 今の自分は、なんと恥知らずで不誠実なのだろう。


 ――……エレノアは。


 ゆっくりと目を閉じれば、見慣れた少女の顔が浮かぶ。

 無茶で、無鉄砲で、後先考えない。

 うるさくて、余計な一言が多くて、なんだかんだとお節介で――傍にいると、少し楽しい。

 リディアーヌの、はじめての友達は。


 ――いつだって、迷わずわたくしを助けてくれたのに。


「さて――」


 うつむいたまま顔を上げられないリディアーヌに、嫌になるほど落ち着いたレナルドの声が落ちてくる。


「これからどうしますかね、リディアーヌ様?」


 嗤うような――無力さを自嘲するようなレナルドの問いに、リディアーヌは唇を噛み締めた。

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