24話 ※神様視点

『――ごめんなさい、クレイル様』


 後悔に頭が揺れる。


『ノアちゃんの居場所は言えません。これは、クレイル様のためなの』


 自己嫌悪に、目の前が暗くなる。


『クレイル様は傷つきすぎて、虐げられていることもわからなくなってしまったのよ。あんな小さな部屋で、身の回りの世話すらしてもらえなくて……』


 不安に体が震える。

 彼のいない場所で、エレノアは今、どんな目に遭っているだろう。

 どんな思いをしているのだろう。


『今のクレイル様は冷静ではないわ。怒らないで、落ち着いて考えてみて』


 愚かだった。

 ああ、本当に――。


『頭を冷やせば、きっと私の言うことをわかってくださるわ』


 どうしようもなく、彼は愚かだった。




 聖女アマルダとの対話は無意味だ。

 彼女にこちらの心は伝わらず、言葉は彼女の望むように解釈される。

 どれほど必死に否定しても、彼女にとって『エレノアが無能神を虐げた』という事実は揺らがない。

 否定するほどに、『それほどエレノアが怖いのか』と思い込む彼女に、エレノアの行方を問い詰めてもらちが明かなかった。


 ――エレノアさん。


 引き留めようとするアマルダを置いて、屋敷を飛び出したあと。

 彼は一人、息を切らして神殿の外れへ向かっていた。


 ――エレノアさん。エレノアさん。私は……私は、どうして……。


 誰も訪れることのない、神殿の一番暗い場所。

 アマルダの住む屋敷とは比較にならないほど小さくて、粗末な小屋。

 昼間から明かりが必要なほど日当たりが悪く、だけど朝だけは少し明るい。

 隙間風だらけで、壁も床も染みだらけで、侍女もいない。掃除も洗濯も身の回りのことも、自分でやらないといけない。他人から同情されるほどに、不便で不自由で――だけど。


 ――どうして。


 だけど満たされていた。

 他に求めるものはなかった。


 ――どうして、人間なんて守ろうと思ってしまったのだろう。


『――神様』


 人間の悪意に埋もれ、泥のような姿で暗闇を這う日々の果て。

 穢れの中で崩れ落ちるのを待つだけだった彼の前に、荒々しいくらいに無遠慮に踏み込んできた、あの瞬間から。


『私は、神様の聖女ですから』


 彼女がいれば、それでよかったのに。




 部屋の空気はよどんでいた。

 中の様子は、三日前と変わりない。

 燭台に火が入れられた形跡も、水がめの水を換えた形跡も、リディアーヌからもらったパンが減った形跡さえもない。


 ただ、三日分のよどみだけが積み重なる無人の部屋を前に、彼は静かに目を閉じた。


 ――ああ。……そう。


 口から短い息が漏れる。

 心は空虚で、焦燥感は消えていた。

 押さえつけていた記憶の端が覗いている。


 何年、何百年、彼は人間の醜さを目の当たりにしてきただろう。


 ――そうか。


 人間とは、そういうものだった。

 穢れに溺れ、どこまでも救われない哀れな生き物。

 神に歯向かうほど傲慢で、せめてもの慈悲からも目を背け、与えられた最後の希望さえ、自分自身の足で踏みにじる。


 ――そうか…………。


 忘れていた諦念が、彼の心を満たしていく。

 人への期待など、はるか昔に失って久しいもの。

 今になって必死になっていたことの方が、きっと間違っていたのだ。



 神の目覚めは近い。

 じきに裁定は下されるだろう。

 この地に住まう者たちの結末は、慈悲深く、しかし決して優しくないものになる。

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