25話 ※神様視点

「――様。本日より私が、御身の穢れを清めさせていただきます」


 贅を尽くした屋敷で、あでやかな娘が一礼する。

 娘を連れた神官が期待に目を細め、娘が口の端を吊り上げる。


 こうして、新たな聖女が挨拶をするのは何度目だろう。

 神の寵姫とならんと野心を抱き、前までいた神官も聖女もすべてを追い出し、かわるがわる人間たちがやってくる。


 顔には笑顔を湛え、口からは賛美の言葉を吐き、胸の内によどみを抱える姿を見るたびに、かれの体は重くなっていった。


 どろり。どろりと穢れが積み上がっていく。




「――様。本日より……わ、私が御身の穢れを…………」


 人の減った屋敷で、怯えた娘が一礼する。

 娘を連れた神官は目を伏せ、娘は視線を合わせたがらない。


 相変わらず、新しい聖女が神の前に現れ続ける。

 かつては野心のために、他者を蹴落とした聖女たちが。

 今は醜く歪み始めた神を、他者に押し付けられた聖女たちが。


 嫌悪感に顔を歪ませ、恐怖に涙を浮かべながら、どうにか偽りの賛美を口にする姿に、神の姿が崩れていく。


 どろり。どろりと重く、形を保てない。




「――様。この国の穢れを一身に引き受けるお方。……どうか、御身の似姿を作る不敬をお許しください。このままでは、誰もあなたのお傍に寄りたがらないのです」


 無人の屋敷を訪ねた神官が、震える声で一礼する。

 連れてこられる娘はもういない。

 新しい聖女は、何年も前から現れなくなっていた。


「御身の器を作りましょう。誰にとっても美しいものを。御身のお傍に、再び人があふれるように」


 それが最悪の一手だと、たぶん彼は気が付いていた。

 もしかしたら、目の前の神官さえも気が付いていたかもしれない。


 それでも、目先の穢れを払うことの方が、彼にとっては重要なのだ。

 はるか未来の子や孫たちが、自らの提案のために滅ぶことになるとしても。


 どろり。どろりと人の業が積み重なる。




「――様」


 そう呼ぶ人間はいなくなった。

 似姿に人は集まり、似姿を人は神と仰ぎ、かれは忘れられていく。


 粗末な小屋には、崩れかけの神がひとつ。

 もはや人は寄り付かず、まれに与えられるのは蔑みと罵声だけだった。


 どろり。

 人に残された時間が失われていく。

 試練は終わりに向かっている。

 そのことを覚えている人間さえ、今となっては消え果てた。


 彼の元に残されたのは、神を忘れた人間たちの穢れだけだ。

 絶え間ない穢れの呪詛に、彼の記憶さえも削られていく。


 消えていく数百年の記憶の中に、だけど美しいものは一つもなかった。

 彼の見てきた人間たちは、誰も例外なく醜かった。

 口で愛を語りながら心に憎しみを宿し、正義を求めながら悪意に身を浸す。自ら救いの芽を摘み、滅びへ向かう哀れな生き物ばかり。




 どろり。

 両天秤の、片側だけが重くなる。

 もはや、神の決断は覆らない。

 この地上で、唯一見つけた清らかなものさえ、愛のない虚構に過ぎなかったのだから。


 すでに限度は迎えている。

 彼が望めば、積み上げられた人間の業は、そのまま人間に返されるだろう。


 それが彼の役目であり、人間たちに与えられた試練の結末だ。

 人間たちは、彼が限界を超える前に、価値を示さなければならなかったのだ。




 どろり。どろり。

 体の中で、醜い穢れが渦を巻いている。

 吐き気のするほどの嫌悪感が彼を満たす。


 今すぐにでも手離してしまいたかった。

 本当は、ずっとずっと以前から、捨てたくて仕方がなかった。






 それでも。

 まだ手離さずにいるのはなぜだろう。




 神殿中を探し回り、ようやくたどり着いた暗い牢獄。

 月の光も届かないその場所で、少女が一人、声を殺して泣いている。

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