17話 ※神様視点

 どうして、と尋ねたのは、やはり彼の方からだった。


『どうしてお前は、神々を敵に回してまでこの地を守ろうとする?』


 彼の目的は、大神だる父の血で染まった大地を消し去ることだけだ。

 その大地の上に人間がいるか否かは、さほど重要な問題ではない。


『あの男』が娘一人を望むのであれば、彼も咎めはしなかっただろう。

 見なかったことにするまでもない。

 神の気まぐれの一つとして受け止め、彼は彼として粛々とするべきことをするだけだ。


 だが、あの男は剣を握り、腐り落ちた大地に留まった。

 人間を背に、勝てるはずのない争いに身を投じ、ついには彼と対峙した。


 ――どうして。


 その問いに、あの男はなんと答えたのだったろうか――――。




 〇




「――まあ! クレイル様、お茶くらいメイドに淹れさせますのに!」


 アマルダの声に、彼は我に返った。

 いつもの住まいを離れてから、今日で二日目。

 現在は様子を見に客室を訪ねてきたアマルダに、いつもの癖で紅茶を淹れていたところだ。


「神様のお手を煩わせるなんて! もしかして、今までも自分で淹れられていたんですか!?」


 慣れた手つきの彼を見て、アマルダは驚いたように目を瞬かせた。

 その表情が、見る間に陰りを帯びていく。

 彼女の目の前、テーブルに置かれた紅茶を一瞥し、彼女はきゅっと口をつぐんで眉根を寄せた。


 いかにも同情するような表情だ。


「そういえば、着替えもベッドの片付けも、ご自分でされていたとメイドから聞いています。お掃除も手伝おうとされたとか……」

「すみません、なにか問題がありましたか?」


 茶器をテーブルに下ろし、彼は困った顔でアマルダを窺い見た。

 もてなすつもりだったのだが、かえって礼を欠いてしまっただろうか。


「私が住んでいる場所は、メイドがいないんです。身の回りのことはだいたい自分でしていたので、つい」


 そもそも『無能神』の住処は、メイドどころか人っ子一人寄り付かない場所だ。

 彼自身も人の姿をしていた時期の方が短く、元の異形の姿では着替えもベッドも必要ない。


 エレノアが来てからは、掃除や食事の準備でなにかと世話を焼いてもらっているが、若い娘である彼女に着替えの手伝いをさせようとは思わなかった。

 それで不満を抱いたこともなく、むしろ当たり前くらいに思っていたが――。


「いつも、ご自分で……? 神様でいらっしゃるクレイル様に、そんな雑務をさせるなんて……」

「雑務なんて。慣れていますよ、このくらい」

「慣れるなんて!」


 目の前の紅茶には見向きもせず、アマルダは傷ついたように首を振った。

 椅子からも立ち上がる勢いで前のめりになる彼女に、彼はぎょっと身を強張らせる。

 なにか失言したかと戸惑う彼を、アマルダは下から強い瞳で見上げてきた。


「そんな生活、慣れてはいけません! これは、神々であれば当たり前に受けられる奉仕なんですよ!?」


 その瞳が、彼を映してじわりと濡れる。

 悔しさの滲む声は、どうやら彼を責めているわけではないらしい。


「クレイル様は、他の神々と同じように敬われるべき存在なんです! それなのに、こんな……!」


 ひどいわ、と彼女は押し殺したような怒りを吐く。

 両手で頬を押さえ、伏せた目の端からは涙が零れ落ちた。


「もっと早くに、クレイル様の状況に気付いているべきでした。あんなボロボロの狭い部屋で、どんな寂しくて、辛い思いをされてきたことか……」

「ああ、いえ」


 嘆いてくれるアマルダに、彼は宥めるように声をかける。

 ボロボロであることも、狭いことも否定はできない。

 彼女の言葉に嘘はなく、本気で義憤を抱いていることもわかる。

 声に込められる感情は澄んでいて、どこまでも穢れない。


「お食事も粗末だって聞きましたし、部屋の中の家具もずいぶん古ぼけていて、窮屈で……聖女として、神様にあんな生活をさせられるなんて許せない。蔑ろにしているわ」

「…………」


 だから、きっと――。


「ノアちゃん、あんなに聖女になりたがっていたのに、いったいなにをしていたのかしら――」

「やめましょう、その話」


 おかしいのは、彼の方なのだ。

 思わず口を突いて出た強い声に、彼ははっと口元を押さえる。


 自分の出した声が信じられなかった。

 彼女に悪意がないのはわかりきっているのに、どうして無理に言葉を制してしまったのだろう。

 本来の彼であれば、笑って受け流しただけのはずなのに。


「……すみません、アマルダさん。私の扱いのことは、気にしていませんので」


 違和感を呑み込むと、彼は誤魔化すように無理やり笑みを作った。

 その表情をアマルダに向け、つとめて優しい声でこう続ける。


「私のことより、あなたの話を聞かせていただきたいです、アマルダさん」

「まあ……」


 幸い、アマルダは気にせずにいてくれたらしい。

 先ほどの怒りも忘れた様子で、彼女の方もはにかんだような笑みを返した。

 小首をかしげる彼女の目には、涙の跡もすっかり消えている。


「困るわ。私、普通の聖女なんですよ」

「いいえ」


 謙遜する無自覚なアマルダに、彼は首を横に振った。

 神である彼は嘘を吐かない。

 口にするのは紛れもない本心だ。


「あなたほど特別な方は見たことがありません」


 だからこそ、彼女のことが知りたいのだ。


 それがかれにとって、どうしようもなく矛盾した行為なのだとしても。

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