失敗も過ぎれば笑い話となる(1)

3~4章間(まだ神様が人型になる前)の日常小話


――――――――――――――――――――――――


 はじまりは例によって、唐突な彼女の言葉からだった。


「――――――川に行きましょう!!」

「はい?」

「川ですよ、川! リディから聞いたんですけど、ここからそう遠くない場所にあるんですって! 静かでけっこういい場所らしいので、行ってみましょう!!」


 朝。エレノアは部屋を訪ねてくるなり開口一番にそう言った。

 そう言ったということは、つまりどういうことかというと――――。


 〇


 ぷるぷる震えてまごまごする神様を掴んで引っ張って転がして、やって来たのは川辺である。


 場所は少々外れにあるものの、かろうじて神殿の敷地内。一つの町ほどの大きさのある神殿には、当然のように川の一つも流れているのである。


 ――川の神様もいらっしゃるし、池の神様もいらっしゃるものね。神殿、自然に関しては本当に豊かだわ!


『無能神』の食事や生活環境はまったく豊かではないけれど、それはそれ。

 せっかく川に来ているのだから、今は恨み言を言いたくはない。


 実際、やってきた川辺は本当にいい場所だった。

 川の神のために引いた人工の河川という話だけれど、神殿の中心部から離れているためか、あまり手入れをされている様子はない。そのぶん周囲の自然が豊かで、まるで森の中にある本物の川のようだ。

 川面をのぞき込んでみれば、水は意外なくらいに澄んでいる。川底には砂利が敷かれ、どこから住み着いたのか小さな魚まで泳いでいた。


 神様も、どうやらこの川の清さを気に入ってくれたらしい。

 川辺をしばらくのぞき込んでから、「少し水の中に入ってみてもいいですか?」と言って、神様の体でも川に入りやすそうな場所を探しに行ったくらいだ。


 そういうわけで、私は現在川辺で一人。

 神様が戻るのを待ちながら、水流を聞いているところだった。


 はっきり言えば、少々手持ち無沙汰。

 でもまあ神様についていったとして、さすがに私は水の中に入れない。

 なにせこちらは仮にも令嬢。水遊びなんてはしたないことはできないのである。


 とはいえ。


「………………」


 季節は初夏。次第に太陽が強さを増していくころ。

 木立に囲まれた川の上には、木の葉を透かした緑の木漏れ日が落ちる。

 暑いとまでは言わないけれど、ほんのりと熱を持つような日差しに、どうにもこうにも気持ちが疼く。


 川はきれいで、水は澄んでいる。ときおり岩に当たって跳ねる水は、ひんやりとして気持ちがいい。もしも足を浸したらさぞや――いや、いやいやいや。

 いくらなんでもそれはよろしくない。いくら神殿内とはいえ、ここは外。思いっきり屋外だ。

 そんな場所で素足を晒そうだなんて、令嬢どころか年頃の乙女としても褒められた行為ではない。こんなことは常識である。


「…………………………」


 …………………………うずっ。




 年頃の乙女として褒められた行為ではない。

 とはわかっていたのである。


 わかっていても、辞められないのがお年頃。

 履物を脱ぎ、そっと服の裾をめくって、足の先だけを川に入れる――つもりだったのである。


「――――――わっ、意外に深い!?」


 岩の端に腰を掛け、そっと足を入れた私は、その深さに思わず声を上げていた。

 勢い余って、つま先だけのつもりがふくらはぎまで水の中に沈む。川の端でこれとなると、中央の深さは下手すると膝上くらいまであるのではないだろうか。


「神様、気を付けてください。この川、けっこう深いですよ」


 慌てて水から足を上げると、私は近くにいるであろう神様に呼び掛けた。

 まだ川の中へ入れる場所を探しているのか、あるいはすでに川の中か。どちらにしても遠くには行っていないはずだと、周囲に視線を巡らせる、が。


「………………?」


 いない。

 立ち上がって見回してみるけれど、いつものぷるんとした姿が見当たらない。

 もしや岩の影に紛れているのかと、回って探してみてもいない。

 あるのは岩陰の横に残る、もっちりとした体を引きずったような痕跡だけだ。


「………………神様?」


 しんと染みるような静かな川辺。木立の揺れる音と、川のせせらぎの響く中で、私はぽつりと小さく呟く。


 岩陰に残る痕跡は川へと向かい、水際で消えていた。

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