22話
凍り付いたように動かない神様に、私の顔はますます歪んでいく。
――最低……!
八つ当たりだ。頭の中では、そんなことはわかっている。
自分の苛立ちを神様にぶつけて、傷つけて、最低だ。そう思うのに。
口を引き結び、奥歯を噛んでも、顔に浮かぶ表情を消すことができない。
ゆるく波打つ神様の表面に、私の顔が映っている。
ぐしゃりと歪んだ顔。
かすかに持ち上がる口元。
目を細め、神様を見つめる私は――醜い。
震えるほどに醜悪な笑みを浮かべていた。
「――――本性を見せたな、ノア」
部屋に満ちる沈黙を破ったのは、ぱちぱちと手を叩く、乾いた音だった。
はっと顔を上げれば、いつ間にか部屋の扉が開かれ、部屋の中に誰かが立っている。
「やっぱり君はそういう人間だったんだな。これで僕も、心おきなく君と婚約を解消できる」
「…………エリック」
目を細め、蔑むように私を見据える婚約者の姿に、私は身を強張らせた。
一瞬足がよろめきかけ、だけどぐっと両手を握りしめる。
エリックに弱みなんて見せたくなかった。
「なにをしにきたの。神様の部屋に黙って入るなんて、無礼でしょう!」
「神殿を発つ前に、別れの挨拶をしに来ただけだ。ついでに言いたいことも言っておこうと思ったんだ。――これが君と会う、最後の機会になるだろうからな」
「最後って……!」
私はまだ、昨日の話し合いに納得したわけではない。
四人だけの話し合いにアマルダを連れて来たのはエリックの方だ。
先に約束を破ったのはエリックなのに――嘘を吐いているのはアマルダなのに、嘘つき扱いで婚約破棄なんて、認められるはずがない。
「まだ話し合いは終わっていないわ! 勝手に決めないでちょうだい!」
「終わっていないと思っているのは君だけだ。……それに、神様の部屋と言っても、無能神の部屋だろう」
視線以上の蔑みを込めて吐き捨てると、彼は私から目を逸らした。
その目が向かうのは、私の手前――戸惑うように震える神様の姿だ。
「それが無能神か……」
黒く、ゆるゆると震える神様を見据え、彼は不快そうにつぶやいた。
顔に浮かぶのは、あからさまな嫌悪だ。
汚いものでも見たと言うように、彼は口元に手を当てる。
「噂通りの醜い化け物だな。魔物となにが違うんだ。これで役にも立たないなんて、いったいなんでこんなモノが――」
「エリック!」
彼の罵る言葉を、私は反射的に咎めた。
そのまま神様をかばうように前へ出て、エリックを睨みつける。
「神様の目の前よ! なんてことを言うのよ!」
「……それを、君が言うのか?」
だが、彼は悪びれもしない。
嫌悪感の宿る表情をそのまま私に向け、はん、と鼻で笑う。
「どうせ無能神は言葉なんて理解していない。それに、君自身でも言ったばかりじゃないか」
彼の顔に浮かぶ笑みに、私はぎくりとした。
誰かを傷つけたくてしかたのない――震えるほどに醜悪な笑み。
「『無能神なんか』――って。笑いながら」
「エリック……!」
名前を口にするが、それ以上の声は出なかった。
だって――私になにが言えるだろう。
エリックと同じ顔で――エリックと同じことをした私に。
「君の方が、よほど無能神を馬鹿にしているじゃないか。それなのに、今さら聖女ぶらないでくれないか?」
ぐっと私は唇を噛む。
否定しようにも、否定できない。
「アマルダは君を信じて無能神の聖女の座を渡したらしいが――こればかりは、彼女が優しすぎる。君は本当は、無能神に仕える気なんてさらさらないんだ。神への信仰心も、聖女としての覚悟も、せめて聖女らしくあろうという矜持さえない」
「そんなこと――」
「ない、とは言えないだろう? だって君が目指していたのは聖女じゃない」
一つ息を吐くと、彼は足を踏み出した。
一歩一歩、ゆっくりと足を進めながらも、彼の言葉は止まらない。
「君が本当に欲しいのは、聖女という『身分』だけだ。君はただ、聖女になって注目を集めて――アマルダを蹴落としたかったんだろう?」
いかにも下賤な――子供じみた理由だ。
そう言って彼はまた笑う。
くっ、と喉を鳴らす笑い声に、私はなにも言い返せない。
「クラディール伯爵から聞いたよ。君は昔から、そうやってアマルダに張り合って、彼女をいじめてばかりいて、困った子供だったと」
――お父様が。
アマルダばかりを見て、振り向いてくれなくて、構ってほしくて、何度も何度も背中に声をかけた、父が。
私を困った子供だったと――そう言ったんだ。
「本当に、呆れた人間だ」
心底見下げ果てたように言うと、エリックは足を止めた。
私の真正面、蔑みの目が近い。
隠そうともしない侮蔑に、目を逸らしたくなる。
それを、私は痛むほどに口の端を噛んでこらえた。
絶対にうつむいてやるもんか。
エリックなんかの前で――泣いてなんてたまるものか。
そう思うのに――。
「君にとっては、神も聖女も装飾品なんだろう? 序列の高い神にしか、君は興味がないんだろう?」
エリックの声が頭に響く。
否定のしようもないほどに、はっきりと。
「無能神の聖女なんて、君にはなんの価値もない。だからそうして、自分の神を馬鹿にできるんだろう――?」
無能神の聖女なんて――。
どうせ馬鹿にされるだけ。
誰も喜ばない。誰もなりたがらない。
神殿では蔑まれ、家族からは厄介者扱い。
無能神の聖女になんて、なりたくなかった。
エリックの言う通りだ。
序列の高い神ならよかった。高ければ高いほど、価値があった。
立派な神様の聖女になれば、きっと――。
「そんな君だから、誰にも選ばれないんだ。僕にも、君自身の家族にも――無能神にさえ」
きっと、振り向いてもらえると思っていた。
ずっとずっと、それが私の夢だった。
頭の奥がぐらりとする。
いまだ話し続けるエリックの声も遠い。
――エリックの前で、泣きたくなんてないのに。
足元が揺れて、目の前がくもり、立っていることもできない。
どうにか転ぶまいと力を込めた足さえ地面を踏めず、足元から崩れ落ちたとき――。
「――――エリックさん。もう黙っていただけませんか」
ぷるんと柔らかな塊が、私の体を受け止めた。
いつも優しくて、どこかおっとりとした声が――今はぞくりとするほどに冷たく、鋭く響く。
「すみませんが、出て行ってください。これ以上、あなたの話を聞きたくはありません」
静かな神様の声に、エリックは怯えたように息を呑んだ。
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