40話

「エレノア! あなたってば、本当に!」

「いっ! いだだだだ!!」


 少し前までのまじめな空気はどこへやら。

 リディアーヌに腕をねじり上げられ、部屋には乙女らしからぬ私の悲鳴が響き渡る。


「どうしていつもそうなの! もう!」

「いたっ! リディ! 本気で痛っ!?」


 リディアーヌは加減を知らない。

 本気の痛みに救いを求めて顔を上げれば、呆けた顔の取り巻き二人と――少しも呆けず、愉快そうに笑うルフレ様の姿が目に入る。


「いいぞ! もっとやれ!」

「もっとやれ、じゃないわよ! あいたっ!」

「あっはは! ざまーみろ!!」


 くっ……! 他人事だと思って!

 こうなったら巻き込んでやる!


 などと物騒なことを考えながら、私はルフレ様に手を伸ばし――。


「……仲が良いのね」


 ぽつりと聞こえた声に、手が止まった。


「あんたたちも、ルフレ様も――あんたたちの神様とも。……うらやましいわ」


 ため息にも似たマリの声に、私は瞬いた。

 私を締め上げていたリディアーヌの手も、いつの間にか止まっている。


「ロザリーが嫉妬するの、わかるわ。あの子はやりすぎだったけど……でも、私たち、あの気持ちはよくわかるのよ」

「ね」


 と言って、マリの隣でソフィがうなずく。

 その顔に浮かぶのは、どことなく寂しそうな表情だ。


「私たちには、助けてくれる神様はいないから」


 ――あ……。


 淡々とした彼女の言葉に、私は口をつぐむ。

 なにも言えない私とリディアーヌを見て、ソフィは自嘲気味に目を細めた。


「あなたたちみたいに、神様が助けに来てくれることも、心配して駆けつけてきてくれることもないわ。それどころか、お姿を見たことさえないのよ。神殿に来てから、一度も」


 ――……一度も。


 いつだったかルフレ様は、神々が聖女を選んでいないと言っていた。

 神託を偽り、神殿が勝手に聖女を決めているのだ、と。


 神々からしたら迷惑な話だ。自分で選んでもいない聖女を、わざわざ見に行くいわれはない。


 だけど、偽られた聖女の方はどんな気持ちだっただろう。

 この方に選んでもらえたのだと神殿に来たのに――その姿さえ、見ることができないなんて。


 黙り込んだ私たちに、ふっとマリが笑みを漏らす。

 決して楽しくて笑っているのではない。彼女もまた、自嘲するように笑んでいた。


「偽聖女なのは、あんたたちじゃなくて私たちだってわかっていたわ。ロザリーも、本心ではきっとそう。だから余計に妬ましかったのよ」


 マリはそう言うと、両手を握り合わせた。

 固く握りしめ、うつむき目を閉じる姿は、まるで祈るようにも見えた。


「やりすぎないように止めていても、内心ではロザリーと同じ気持ちだったわ。うらやましくて、妬ましい。どうして偽聖女のはずのあんたたちに神様がいてくれて、私たちにはいないんだろう、って」


 声はかすかにかすれていた。

 手は握りすぎて白く、肩が小さく震えている。


「……こんな私だから、神様はお顔を見せてはくださらないのね。この先も、きっと」


「…………」


 私もリディアーヌも、なにも言えなかった。

 さんざん偽聖女だと言われてきたし、リディアーヌはともかく私は本当に偽聖女ではあるけれど――私たちには、たしかに神様が傍にいてくれる。

 彼女を慰めることはできず、かける言葉さえもなかった。


 部屋は静まり返っていた。

 窓の外はすっかり日が暮れ、燭台の火が揺れている。

 開け放たれた窓の外、風が木々を揺らしたとき――。


「……先のことは、わかんねえだろ」


 ルフレ様が、どこか苦々しそうにそう言った。

 彼は一度窓の外に目を向け、頭を掻き、小さく頭を振る。

 それから大きくため息を吐くと――彼は、観念したように顔を上げた。


 そのまま、視線をマリに向ける。


「――マリ・フォーレ」


 鋭い視線に、名前を呼ばれたマリが背筋を伸ばした。

 ぎくりと強張る彼女の姿を見ても、しかしルフレ様は眉一つ動かさない。


「お前、誰もいない部屋を毎日掃除しているだろう。風を通す窓は特に丹念に。……続けてみればいい。いつか風が吹き込むかもしれない」


 淡々とした声で言うと、彼はそのままソフィに目を向けた。


「ソフィ・グレース。お前はバラ園の手入れを欠かさなかったな。花も咲かないバラ園なんて、誰も見向きもしないのに。……でも、そろそろ蕾くらいはつくかもしれない。咲くのはもっと先だろうが」


 どうして、とソフィがつぶやく。

 どうしてそんなことを、ルフレ様が知っているのだろう。

 そう言おうとするソフィに、彼は目を眇めた。


 その表情に、いつもの生意気さは感じられない。

 今の彼は、少年めいた外見には似合わない――ぞくりとするほどに偉大な神の顔をしていた。


「つむじ風のトゥール。蔓薔薇のフォッセ。――姿は見せなくとも、いなくなったわけじゃない」


 ――つむじ風。蔓薔薇。


 二柱とも、神殿では下位に属する神様だ。

 だけどこの瞬間、私が思い浮かべたのはそんなことではない。

 ロザリーに追われたとき、追いつかれそうになったとき――吹き抜けた風と、足を止めてくれた茂み。


 もしかして、あれは――。


「たとえ自分で選んだ聖女でなくとも、お前たちがしてきたことは見て、知っている」


 そう言って、彼は二人を順に見やった。

 偉大だけれど――優しい目で。


「あいつらは、傍で、見守っているよ」


 開け放たれた窓から、ふわりと風が吹き込んだ。

 木々がざわめき、燭台の火が揺れる中、マリとソフィが顔を見合わせる。


 二人は驚いたように瞬き、息をのみ――それから。

 ほどけるように、くしゃりと表情をゆがませた。




 ルフレ様が、窓の外を見て「ふん」と居心地悪そうに顔をしかめる。

 リディアーヌは、自分のことのようにうれしそうな顔で二人を見やる。

 張りつめた空気は今度こそ消え失せ、部屋に満ちるのは穏やかな空気だった。

 が。


 しかし待て。



「……まとまりかけたところ悪いのだけど」


 まさにハッピーエンドな空気の中に、低い声が割って入る。

 なにを隠そう、私である。


 私は涙を浮かべる二人におもむろに近づくと、その肩をぐっと掴んだ。

 空気を読む気はさらさらない。

 たとえリディアーヌが許し、神々が許したとしても――。


「私は、あなたたちのこと許した記憶はないわよ」


 私に水をかけ、足を引っかけたことを忘れたとは言わせない。

 我ながら不敵な笑みを浮かべると、私は二人の顔を順に見やった。

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