39話

「今まで嫌がらせしてきたこと、謝るわ。リディアーヌにも――あんたにも」


 あんた――と言って、最初にテラスへ駆けつけてきた取り巻きが私を見る。

 背が高く、いかにも気の強そうな彼女は、たしか名前をマリと言うらしい。

 今回の報告の中で、神官たちがそう呼んでいるのを聞いていた。


 そのマリが、隣のソフィより一歩前へ歩み出る。


「ひどいことをした自覚があるわ。水をかけたり、足を引っかけたり、他にもたくさん。嫌われていたと思っているわ。見捨てられても仕方がなかった」


 でも、と言ってマリはその場で足を止めた。

 私とリディアーヌの真正面。どちらも順繰りに見やり、彼女は息を吸う。


「あのとき、とっさにソフィをかばってくれたこと。ソフィが捕まったとき、みんな助けようとしてくれたこと。……感謝しているわ」


 マリはそこで言葉を切る。

 一瞬、静かになった部屋の中。彼女は胸に手を当て、思い出すように一度目を閉じると――そのまま、私たちに向けて深く頭を下げた。


「ソフィを……私の友達を、助けてくれてありがとう」


 思いがけず殊勝な態度に、私はすぐに反応ができなかった。

 瞬く私の前にソフィも飛び出し、マリと並んで頭を下げる。


「助けられたのは私だわ。本当に感謝しているの。それで――あの、嫌がらせのこと、マリにはあんまり言わないでほしいの。水をかけようとしたのはいつも私で、マリはこう言っているけど、本当は嫌がっていて……!」


「……知っていてよ」


 かばうようなソフィの言葉を遮ったのはリディアーヌだ。

 まだ状況の呑めない私の横で、彼女は落ち着いた様子で小さく首を振る。


「あなたたち二人とも、謝る必要はないわ。嫌がらせが本意ではないこと、気付いていたもの」


 え、と驚いた顔で、マリとソフィが顔を上げた。

 なにを隠そう、私も驚いていた。

 嫌がらせが本意ではない? ……私の時は、嬉々としてやっていたような気がするのだけど。


 などと考える私には気がつかず、リディアーヌは二人に目を向ける。


「あなたたちがロザリーの分家筋で、立場上命令されれば拒めないと知っていたわ。それに、あの子がやりすぎないように、止めてくれていたでしょう? ――石ではなく、生ゴミをぶつけるだけで済むように」


 ――あ。


 思い返すのは、リディアーヌと最初に会った日のことだ。

 あのとき、ロザリーははじめ――リディアーヌに『石』をぶつけようとしていたのだ。

 もちろん生ゴミだって洒落にならないけど、どちらが危険なことかは考えるべくもない。


「今回も、ロザリーを止めようとしてくれていたわね。マリはわたくしたちを逃がそうと探していて、ソフィはロザリーを説得しようとしていたでしょう。それこそ、わたくしたちを見捨ててもよかったのに」


「で、でも!」


 リディアーヌの言葉に、慌ててマリが首を振る。

 顔に浮かぶのは、罪悪感だろうか。

 苦々しそうに口元を歪め、彼女は両手を握り合わせる。


「嫌がらせをしたのは事実だわ! 本意じゃないって言ったって、私は結局、ロザリーには逆らえなかったのよ! あの子を敵にするのが怖くて、強く言えなくて――」

「だから」


 短い言葉が、マリの口をつぐませた。

 リディアーヌの声は静かだけれど、はっと息をのむような強さがある。


「逆らわない範囲で、敵に回さない範囲で、あなたはできることをしたのでしょう?」

「…………」

「無理に逆らえば、あなたたちの立場があぶないもの。自分を犠牲にする必要はないわ。ただ、できる中で最善を尽くしていた。それをわたくしは見て、知っています。だからわたくしは、あなたたちの謝罪はいりません」


 彼女はそう言って、背筋を伸ばし、いつものようにツンと顎をそらした。

 それはまさしく、傲慢で高飛車で――誇り高い公爵令嬢の姿だ。


「わたくしはもともと、王子妃になるはずだったもの。人を見るのが仕事なのよ。――あなたたちがどんな人なのかは、わかっているつもりだわ」


 ――か。


 その凛々しい姿に、私は思わず目を奪われてしまった。

 相手はリディアーヌなのに、自分のことはびっくりするほど鈍いのに――。


「かっこいい……!」


 ぽろりと口から本音が漏れる。

 そして、一度口を開いてしまうと、続けざまに言葉が出てしまうものである。

 うかつな私は、ついつい余計な本音まで漏らしてしまった。


「友達作るのは下手なくせに……!」


 部屋の空気が一瞬にして凍りつく。

 ツンと澄ましたリディアーヌの肩が震え、表情がひくつき――。


 ついに耐え切れなくなったように、彼女は叫んだ。


「――エレノア!!!!」


 ああ! この口が! 口が!!

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