38話

 それから。


「いやもう……見せつけられたわ……」


 ところ変わって、神殿の応接室。

 神々の住処ではなく、神官たちの使う部屋で、私はなんとも言えないしかめ面をした。


「人前なのに……そもそも神様の部屋なのに……はばかることなく……」


 他人事ながら、思い返して頬が熱を持つ。

 あのとき、気まずい神官が咳ばらいをしてくれなければ危うかった。

 放っておけば、いつまでも二人の世界を見せつけられ続けるところだった。


 もっとも、アドラシオン様は咳ばらいなどものともしなかった。

 さすがは神と言うべきか。周囲の目にまったく動じず、彼はリディアーヌを抱きしめ続けていたのだが――。


 ――まあ、相手が悪かったわよね。


 ことの顛末を思い出し、私は思わずため息をつく。

 アドラシオン様はよくても、リディアーヌが周囲の視線に耐えられるはずがなかったのだ。

 彼女は自分たちに向かう視線に気が付いた途端、茹で上がったように真っ赤になり――アドラシオン様を突き飛ばしてしまったのである。


 その後は、若干気まずいながらも騒動の後始末だ。

 目を覚まさないロザリーを神官に預け、応接室に出向いて騒動の顛末の報告。

 ルフレ様が弱っていること、アドラシオン様の屋敷にいることは伏せつつも、基本的にはありのまま話をした。


 今は、その話も終わったところ。

 神官も退室し、自分たちも帰ろうか、という頃合いだった。


 ちなみに、この報告の場に神々の姿はなかった。

 ルフレ様の態度のせいで忘れがちだが、神は本来、自分の聖女以外と直接関わりを持たないものである。


 神として助言を与えてくれるのも、力を貸してくれるのも、自身が選んだ聖女に対してのみ。

 あるいはどうしても必要な場合に限り、神託を通じて言葉を落とすこともあるが、それだけだ。

 神が聖女以外に与えてくれるのは、雑談程度がせいぜいなのである。


 人の先行きを、神が決めてはいけない。

 人は自らの選択を、神にゆだねてはいけない。

 この人と神の線引きは、建国の際に最高神グランヴェリテ様が定めた絶対の掟だ。

 さすがのルフレ様も、話し合いの最中に姿を見せることはなかった。


 もっとも――。


「――見せつけるよなあ。アドラシオン様ってああいうところあるんだよ」


 最中に姿を見せなかっただけで、終われば普通にいる。

 この神、人間に干渉しすぎである。


「のろけてても、全然のろけだと思ってないような。『事実だろ?』って感じの」

「ああー……なんとなく、アドラシオン様がそういうタイプなのわかるわね……。人前でも『それがなにか?』って言いそうな……」

「本人は見せつけてるつもりはないんだろうけど、見てるほうとしてはなあ……」


 などと話しつつ、私とルフレ様はそろってちらりと横を見る。

 隣に座っているのは、見せつけてきた張本人の、片割れ。リディアーヌだ。

 彼女は姿勢よく背筋を伸ばしたまま、真っ赤な顔で口をつぐみ、膝の上で両手を握りしめている。


「…………」


 かすかにぷるぷる震える肩を、私もルフレ様も無言で見つめた。

 私たちの視線を受け、ただでさえ赤いリディアーヌの顔がますます赤くなっていく。

 その赤さが耳の先まで伝わったとき、彼女は耐え切れなくなったように叫んだ。


「な、なによ! なにか文句でもあって!?」

「文句があるわけじゃないけど……」


 あるわけではないけど、思い返すのはいつかの晩。

 リディアーヌが語ったアドラシオン様への想いだ。

 あの夜の、思いつめたような彼女の顔を思い出し、私の口はついつい余計なことを口走る。


「にぶ……」

「聞こえていてよ、エレノア!!」


 慌てて口を押える私を、リディアーヌが睨みつける。

 それから赤い顔を隠すかのように、ツンと顔をそむけて立ち上がった。


「も、もうわたくしは帰るわ! 明日までに、今日見たことは忘れなさい! こんなことがあったのだから、帰り道には気を付けることね!」


 ――アドラシオン様が待っているものね。


 と言ったら、さすがに明日、口をきいてくれなくなるだろう。

 わかっているのに、どうして口がうずうずしてしまうのか。

 いけないいけないと思いつつ、余計なことを言おうと口を開きかけたとき。


「――待って」


 私がなにか言うより先に、帰ろうとするリディアーヌを呼び止める声が部屋に響いた。

 同じく、神官たちの説明に参加していた取り巻きたちの声だ。


 二人はソファから立ち上がり、険しい表情でこちらに歩み寄る。

 今回の騒動のことで、またなにか文句を言うつもりだろうか、と思わず身構えたが――。


「――――ごめん」


 短い言葉に、私は身構えたまま瞬く。


 おっと?

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