28話 ※聖女視点
「――穢れが増え続けている?」
クラディール伯爵家とセルヴァン伯爵家の、ちょっとした話し合いの翌日。
今日もまた屋敷を訪ねてきた神官たちの言葉に、アマルダは瞬いた。
「ロザリーさんの事件の他にも、穢れが出た話があるなんて……なんだか大変ね。この国に穢れなんて、どうしてしまったのかしら」
他国ならいざしらず、神々の祝福を持つこの国では、穢れが出てくることは本来あり得ない。
いったいなにが原因だろう――と他人事のように首を傾げれば、神官たちが神妙そうに頭を振る。
「わかりません。ですが、ロザリー・フォレの一件以降、神殿外でもいくつか報告が上がっていたようです。最近では、この神殿内にも穢れが出たという者もいて……」
アマルダを見つめる視線には、親愛や気遣いの色はあるものの、楽観的な様子が見られない。
以前のような、『アマルダに会いに来る口実としての報告』ではなく、今日ばかりは本当に、『最高神の聖女』に報告をしに来たのだろう。
大きな窓に面した、屋敷一階の応接室。
屋敷のメイドから差し出された紅茶に口を付けつつ、神官の一人が息を吐く。
「王家は神々になにか異変が起きているのではないかと、神殿に探りを入れようとしています。あの連中、神殿がなにか、神々の機嫌を損ねるようなことをしたのだと疑っていて……。最高神の聖女であるアマルダ様がいらっしゃるのだから、そんなこと、絶対にありえないはずだというのに!」
アマルダこそは、建国以来一人として聖女を持たなかった最高神が選んだ、唯一にして無二の聖女である。
この偉大な聖女を輩出した当代の神殿を、神々は喜びこそすれ機嫌を損ねるはずはない。
なにかの間違いだ! ――と憤慨する神官の横で、別の神官が口をはさむ。
「ですが、穢れが発生しているのは否定できません。このまま穢れが増え続ければ、王家も強引な手段に出るでしょう」
王家と神殿は、同じ国にありながらも、基本は互いに不可侵だ。
王家は神殿の権力を目障りと思い、神殿は王家の地位を厄介に思いつつ、しかしそれ以上は踏み込めない。
下手に踏み込めば、国が荒れるのがわかりきっているからだ。
だからこそ、国は常々神殿の隙を伺っていた。
言いがかりをつけるのに正当な理由を探り、どうにか神殿を弱体化させようとしているのだ――。
と、そんな意味合いのことを言い、神官は苛立たしげにテーブルを叩く。
「もちろん、神殿は常に清廉潔白です! ですが、あいつらは手段を選びません! もしも王家乗り込んできて、神殿の悪事をでっちあげでもすれば――最悪、神殿が傾きます!」
「そんな……」
神官の勢いに呑まれ、アマルダは怯えたように首を振る。
窓辺のソファに腰かけ、逃げるように身を竦めれば、当の神官が腰を浮かせてぐっと体を寄せてきた。
「その前に、今回の穢れの原因を見つけ出さねばなりません! 神殿や神々に間違いがないのですから、必ずや他に発生源となるものがあるはずです!」
「発生源となるもの……ですか」
「はい!」
と神官は強く頷く。
アマルダに良いところでも見せようというのか、彼は意気込んだ様子で言葉を続けた。
「ロザリーの件から見ても、神殿内にあるとしか思えません! 穢れを生み出す邪悪が、この聖なる神殿にあるのです!」
「まあ……!」
脅すような神官の言葉に、アマルダは声を上げた。
神々の住まう神殿に穢れを生み出す存在があるなんて、信じられない。
それはあまりにも――神を冒涜しすぎている。
「怖いわ。そんな恐ろしいものがあるなんて……!」
アマルダはそう言って自分の体を抱き、身を震わせた。
亜麻色の髪が揺れ、小柄な体がいつもよりさらに小さくなる。
――いったい、どんな邪悪な存在なのかしら。
震えながら、アマルダはその冒涜的なものを想像する。
神殿を穢すほどの邪悪なんて、きっとよほど醜悪なものに違いない。
なにかの呪いだろうか。
あるいはよほど恨み深い人間だろうか。
もしも人間だとしたら――。
「……かわいそうだわ」
「は」
思わずつぶやいたアマルダの言葉に、また別の神官が瞬く。
アマルダは首を一つ振り、声を上げた神官に目をやった。
「穢れを生み出さないといけないなんて、かわいそう。きっと心は恨みだらけなのね。そんな風に生まれついてしまうなんて」
――哀れだわ。
怯え、青ざめた彼女の顔に、かすかな笑みが浮かぶ。
青い目は細められ、誰とも知らない相手を憐れむ彼女の姿に、見つめられた神官は息を呑んだ。
それはまさしく、慈愛に満ちた聖女の微笑だった。
「それなら、私が祈ってあげないと。最高神グランヴェリテ様の聖女として。それが、この国を支える一番の聖女としての責務だもの」
慈悲深く、恨みを知らない純粋な聖女の言葉に、神官たちが感嘆の息を漏らす。
窓からの明るい日差しを背に、凛と前を見据える彼女は美しい。
――美しいと思う人間しか、この部屋の中には招かれないのだ。
「……さすがはアマルダ様。グランヴェリテ様に選ばれしお方です」
「アマルダ様がいれば、穢れなんて些細なことでしょう。詳しい方法は存じていませんが、聖女には穢れを払う力もあると言われていますから」
「そうでなくとも、アマルダ様のために神々が力を尽くしましょう。神々は、あなたの傷つくようなことをなさるはずがありません。必ずや、その身もお心もお守りくださるはずです」
競うように、神官たちはアマルダを褒めたたえる。
アマルダの言葉に感動こそすれ、彼らは彼女ほど純粋ではない。
アマルダに見つめられた神官を妬み、牽制しながら言葉を尽くし――。
「――守るというと、そういえば」
ふと、誰かが意地の悪い声を上げた。
「今日は、あのお坊ちゃまはいないんですね」
「お坊ちゃま?」
「ほら、あの伯爵家の」
アマルダの関心を引けた幸運な神官が、喜びと底意地の悪さを込めてにやりと笑う。
大きな窓の前。夏の暑さに負け、開け放たれたその窓から、涼しくもない風が吹き込んでいる。
「昨日からずっと、騎士気取りであなたの傍に張り付いていた方です。いたでしょう? ずいぶんと仲が良さそうで、私たちなんかみんなやきもきしていたんですよ」
「仲が良さそうって……もう! 神官様ったら……!」
からかうような神官の声に、アマルダは困ったように苦笑した。
風を受けた髪が流れる。
慌てて手で押さえながら、彼女はセルヴァン伯爵家から神殿まで訪ねてきた青年の姿を思い出していた。
「そんなんじゃないのよ。私にはグランヴェリテ様がいらっしゃるのに、あの方、それでもいいってぐいぐい来るから」
だけど、顔はよく思い出せない。
三回会っただけで、明日には帰るような相手なのだ。
他の誰かと同じように接するし、あえて遠ざけようとは思わないけれど――。
「――本当は、ちょっと困っていたのよ」
名前は、なんて言っただろうか。
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