27話

 大きくて優しい、神様の腕の中。

 私は子供のように泣いて、泣いて、泣いて――――。




 はっ!

 と気がついたときには、ベッドの中だった。


 ――えっと……?


 宿舎とは違う天井を見上げつつ、私はしばし瞬きをする。

 窓からは朝の光が差し込み、部屋を明るく照らしていた。


「……??」


 呆けたまま、私は視線を天井から移動させる。

 部屋をぐるりと見回せば、見慣れた壁や棚が目に入った。

 どうやら、神様の部屋らしい。

 リディアーヌからもらったベッドが、やわらかく私を包み込んでいる。


 ――……なんでベッドに? 私、床で泣いていたはずじゃ……。


 覚えているのは、神様の部屋の床の上。

 ひやりと冷たい地面の感触と、もちっとした神様の体。

 泣いてしまった私を慰めてくれる神様の声と、それから――いつもとは違う、神様の腕の感触だ。


 だけどその先が思い出せない。

 いつの間に朝で、いつの間にベッドに移動したのだろう?


 そう思いつつ、なにげなくベッドから体を起こしたとき――。


 ――うん?


 起き上がった拍子に、私の手がなにかに当たった。

 ベッドのシーツや枕ではない。もう少し固くて、それでいて柔らかさもあるものだ。

 それにどうやら、けっこう大きい。

 私の隣でシーツにくるまり、長く伸びて横たわっている。

 ほのかに熱を持ち、ときどき呼吸するようにシーツの中で上下するそれは、まるで人間の……よう、な…………。


「…………」


 ………………ええと。


 ――人間……?


 いやまさか。

 なんで私が、神様の部屋で誰かとベッドに寝るのだろう?

 そんなはずはない。きっとシーツの丸まり方がそう見えるだけだ。

 絶対に、そんなはずはないけど――。


 …………。

 ちらっ。


 と好奇心に負けて『それ』を見た瞬間、私は危うく悲鳴を上げかけた。

 声を出さずに済んだのは、奇跡としか言いようがない。


 ――な。


 私の手が触れた先。ベッドの上にいるのは――シーツにくるまる男の人だった。

 淡い金の髪がこぼれ、閉じたまぶたの上に影を落とす。

 眠っているのだろう。穏やかな寝息を立てる横顔は、透けるように白く――ぞくりとするほどに整っていた。


『きれい』なんて言葉では足りない。

 世界中の美しさのすべてを集めたようなその顔立ちは、いっそ怖いくらいだった。

 恐ろしいのに目を奪う、一寸の狂いもない精緻な美貌に――しかし私は目を逸らす。

 このとんでもない美貌も大変なことだけど、それよりももっと大変なことがある。


 ――な、な……。


 私の視線は、彼の顔から――その下へ。

 シーツに隠れた体を見つめ、私はぐっと喉を詰まらせた。


 薄いシーツの下。少しめくれた隙間から、しなやかな男の人の体が覗いている。

 細いけれど軟弱ではなく、しっかりと筋肉のついていることがわかる――そのなめらかな『素肌』に、私は目を見開いた。

 体つきまで美しい――なんて思う余裕なんて、あるはずがない。

 だって、なんで……なんで……!


 ――なんで裸の男の人が、私の隣で寝てるの!!!!??


 内心で絶叫すると、私は慌てて男の人から距離を取る。

 カサカサと虫のように這って壁に張り付くと、目の前の現実を受け入れられずにぶんぶんと首を振った。


 ――どういうこと!? というか誰!? 私、なにも覚えてないんだけど!!??


 まさか、エリックに振られて自棄になった!?

 いやいや! さすがの私も、そこまで無節操なつもりはない。

 だ、だけど裸の男の人とベッドにいるのは間違いなくて!


 ――ああああああ! 神様ごめんなさいごめんなさい!!


 いや、なんで神様に謝る!?

 べ、別に神様とはそういう関係ではなく――という問題ではなく!


 なく!――と混乱する頭で首を振りつつ、私は壁際でぐっとドレスの裾を握りしめた。

 それよりもこの男の人は誰なのか。

 そっちの方が重要に決まっている――って!


 ――ドレスの裾、掴んでるわ! 服着てるじゃない!


 混乱しきって収拾のつかない頭を振ると、私は改めて自分の体を見下ろした。

 見慣れた安物のドレスは、昨日着ていたものと同じだ。

 少し寝乱れたような形跡はあるけれど、それ以外に不自然なところはない。

 体自体もいつも通りで――よく噂に聞くような、痛みや疲労も感じられなかった。


 ――よ、よかった……。


 とりあえず無事らしい自分の体に、私はほっと息を吐く。

 少しだけ気持ちが落ち着き、へなへなと壁を背に座り込んだ。

 そのときだ。


 不意に、ぎしりとベッドのきしむ音がした。


 ――えっ。


 驚き、私は顔を上げる。目に映るのは、白いシーツの持ちあがる様子だ。

 ベッドの中央で眠っていたはずの男の人が、ゆっくりと体を起こしている。


「――ああ」


 聞こえたのは、どこか呆けたような――寝ぼけたような声だ。

 うつぶせの姿勢で体を起こし、彼は一度小さく首を振った。

 光に透ける金の髪が揺れる。

 その動きで、体を隠すシーツが、彼の肩からするりと落ちた。


 それを気にする様子もなく、彼は何気ない調子で顔を上げ――。


「起きていらっしゃったんですね」


 私を見つめて、そう言った。

 陽光よりもなお眩しい金の瞳が、私を映して瞬く。


「おはようございます、エレノアさん。……お元気になられたようでなによりです」


 穏やかな声には聞き覚えがあった。

 それはもう、何度も聞いた声だった。


 私は呆然と、寒気がするほどの美貌を見つめる。


「……」


 ……いや、まさか。

 そんな馬鹿な。

 ありえない。ありえないと思うのに――。


 これまで見た神々の誰よりも冷たく、美しい彼の顔には――ぽやぽやの、気の抜けるほどおっとりとした笑みが浮かんでいるのだ。


「…………」


 私は息を吸い。小さく吐く。

 それから意を決して、恐る恐る彼に尋ねた。


「…………神様?」

「はい」


 私の問いに、彼はくすぐったそうに微笑んだ。

 いつものように、当たり前みたいに――嬉しそうに、私に向けて目を細める。


「なんでしょう、エレノアさん」


 淡い光差す部屋の中。

 場違いなくらいに眩しいその人――神様の姿に、私の呼吸が止まる。


 口を引き結び、現実逃避するように目を閉じ、しばしの沈黙。

 それから。


 私は今度こそ、声の限りに叫んだ。


「――――ええええええええええええええええ!!!??」

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