16話 ※婚約者視点

 エレノアの企みを話せば、アマルダが驚いたように瞬いた。


「信じられないわ。ノアちゃんがそんなことをするなんて……」

「ですが、すべて本当のことです。自分から無能神の聖女を引き受けたくせに、アマルダ様のせいにしようとしていることも、僕の両親どころか、公爵――ルヴェリア公爵家を丸め込んで、あなたを悪役に貶めようとしていることも」


 エリックは言いながらも、膝の上でこぶしを握り締める。

 思い返しても腹立たしい。

 この世に悪があるとすれば、もはやあの女のこととしか思えなかった。


 ――ルヴェリア公爵家の名前を出してまで、アマルダ様を悪役にしたいのか。


 エレノアとエリックの意見が割れ、半信半疑だった両親も、ルヴェリア公爵家の名前が出た途端に、エレノアの側についた。

 エリックに好意的だったクラディール伯爵も同様だ。


 ルヴェリア公爵は王家との縁も深く、貴族社会への影響力が大きい。

 優秀で公正な人物としても名高く、他家からの信頼も厚かった。


 対するアマルダは、最高神の聖女ではあるものの、就任は一か月程度。

 まだ大掛かりな祭礼への参加もないため、貴族たちは彼女の素晴らしさを知らないままだ。


 ――アマルダ様と言葉を交わせば、どちらが嘘を吐いているかなどすぐにわかるのに……!


 悔しさを噛み締め、エリックは首を振る。

 彼女の人柄に触れさえすれば、両親にもクラディール伯爵にも真実が見えるはずだ。

 そのためにこそ、彼は無理を押してアマルダを訪ねて来たのだ。


「アマルダ様。どうか今日の話し合いにご参加ください。あなたの口から、本当のことをお話しいただきたいのです」


 覚悟を決めて顔を上げ、エリックはアマルダの顔を正面から見つめた。

 アマルダは困ったように頬を押さえ、少し悩んでから、迷う口を開く。


「そう……ですね。信じたくはないけど、ノアちゃんがそんな嘘を吐いているなら、ちゃんとお話をするべきだわ。なにか、嘘を吐かなくちゃいけない事情があるかもしれないし……」


 いかにも辛そうにそう言うと、彼女は長く息を吐く。

 はつらつとした青い目を曇らせ、地面を見つめる姿は、痛ましいとしか言いようがない。


「公爵様のことも……私から手紙を出して聞いてみます。ノアちゃんに協力するくらいだもの。きっとなにか理由があるのよ」

「……アマルダ様から、ルヴェリア公爵への手紙? まさか、お知り合いだったのですか?」


 思いがけない彼女の発言に、エリックは少し驚いた。

 彼女はたしか、男爵家の生まれだったはずだ。

 今でこそ最高神の聖女とはいえ、男爵家ではとても気軽に手紙を送れる相手ではない。


 いったいどういうことだろうか、と首を傾げるエリックに、アマルダは照れたように笑う。


「昔からのお友達なんです。マリオンちゃんも一緒に、公爵様と何度も遊びに出かけたの。いろいろ良くしてもらっちゃって、申し訳ないくらい」


 マリオン――というと、エレノアの姉だ。

 ルヴェリア公爵夫人であり、今回の話し合いに余計な首を突っ込んだ張本人でもある。


「そのせいで、マリオンちゃんには嫌われちゃったんだけどね。……って、いけない、変な話しちゃったわ! エリック様、忘れてください!」


 アマルダははっとしたように口を押さえ、慌てたように首を振る。


「マリオンちゃんは悪くないの! ただ、誤解させちゃったみたいで。私、そんなつもりはなかったんだけど……」

「…………」


 ――なるほど。


 アマルダの言葉に、エリックは急に公爵家が絡んできた理由がわかった気がした。


 ――いかにも、あの女の姉らしい。


 要は、エレノアの姉――マリオンによる、アマルダへの嫉妬なのだ。

 アマルダは気が付いていないようだが、話からして公爵が彼女に惹かれていたのは間違いない。

 そのことにマリオンが気が付き、結婚してもなおアマルダを憎み、陥れようとしている――と、そういうわけなのだろう。


 ――吐き気がする。


 ふん、とエリックは不快感を吐き捨てる。

 アマルダの晒された悪意に怒りが湧き、それでもなお、誰も悪く言わない彼女がいじらしかった。


「エリック様? 黙り込んでどうしたんです?」

「……いえ」


 明るいアマルダの声に、エリックは顔を上げた。

 彼女の笑顔を曇らせたくはない。


「わかりました。今聞いたことは忘れます。ですが代わりに、僕のお願いを聞いていただけますか?」

「お願い?」


 きょとんと首を傾げる彼女に、エリックは目を細める。

 きっと――かつてはルヴェリア公爵も、エリックと同じ気持ちで彼女のことを見つめていただろう。


 仲の良い友達だったというルヴェリア公爵が、エリックの胸に影を差す。

 嫉妬を蔑みながらも、エリック自身が、かつてアマルダの傍にいたであろう男の存在を妬んでいる。


 ――だけど、今アマルダ様の傍にいるのは僕だ。


 公爵の身分だろうと、いかに容姿や能力に優れようと――妻を持つ身となった彼は、アマルダの傍にはいられない。

 そのことが、彼にかすかな優越感を抱かせる。

 どろりとした黒い喜びを押し隠し、彼はアマルダに微笑みかけた。


「今の話を二人だけの秘密にする代わり――僕のことを、『エリック』と呼んでくれませんか?」


 エリックの提案に、アマルダが瞬き――かすかに頬を赤らめる。


 どろり。また、かすかに粘りつく悦びが湧く。

 この表情は、公爵だって見たことがないはずだ。


 他の男も――神だって、きっと。

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