15話 ※婚約者視点

「――ああ、エリック様! ノアちゃんの婚約者の!」


 思い出したように、顔の間でぱんと手を叩き合わせるアマルダの姿に、エリックは内心でほっとする。

 意気込んで訪ねた最高神の屋敷。

 応接室まで通されたのはいいものの、顔を合わせた瞬間の彼女の表情にはぎくりとした。


 ――まさか、覚えていないのか?


 などと、彼女のいかにも訝しげな――『誰だっけ』と言わんばかりの視線に不安を覚えたのは、しかし少しの間だけだ。

 いくつか言葉を交わせば、彼女はすぐに明るく親しみのある笑みに変わった。


「ごめんなさい、忘れたわけではないんですけど……。その、前に会ったときと少し雰囲気が違ったから」

「いえ、いいんですよ」


 申し訳なさそうにこちらを見上げるアマルダに、エリックは首を振る。

 雰囲気が違う――と言われてしまえば、彼としても悪い気はしなかった。


 なにせ彼は、今日のために相当に気合を入れてきたのだ。

 服も吟味し、髪も時間をかけて整えた。

 装飾品や香水にまで何時間も悩むなんて、エレノアと舞踏会に行くときですらしなかったというのに。


 この変化に、たった一度会っただけのアマルダが気付いてくれたことが嬉しい。

 それだけ、自分を見てくれているのだと思うと、知らず頬も緩んでしまう。


「それより、『エリック様』というのをやめていただけませんか? 最高神の聖女であるアマルダ様に言われてしまうと、落ち着かなくて」

「まあ! 呼び捨てなんてノアちゃんに悪いわ! 婚約していらっしゃるんでしょう?」


 アマルダの口から出た『ノア』という言葉に、緩んだ頬が強張る。

 応接室の椅子の上、胸に湧く不快感に、彼はこぶしを握り締めた。


「あなたが悪く思うことなんてありませんよ、あんなやつ」


 思い出したくもない顔を思い出し、エリックの声が震えた。

 必要なこととはいえ、これから顔を合わせるのだと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだった。

 エレノアと――あんな女と、一時期でも婚約していたなんて、血迷っていたとしか思えない。


 奥歯を噛み締め、怒りをこらえながら顔を上げれば、小首をかしげるアマルダが目に入る。

 きょとんとした彼女の表情に、エリックの心は余計にかき乱された。


 ――アマルダ様は、まだノアを友達と思っているんだ。


 無邪気に『ノアちゃん』と愛称で呼び、あんな女にまで気を使っているのだ。

 その純真さに漬け込むエレノアに、どうして父も母も騙され続けるのか理解できなかった。


「僕はもう、エレノアとは婚約していません」


 気を落ち着けるように一つ息を吐き、彼は静かにそう言った。

 それから覚悟を込め、真摯な瞳をアマルダに向ける。


「今日は、その話をするためにアマルダ様に会いに来たんです。――あの女の卑劣な企みを止めるために」


 この、清らかな聖女を守らなければならない。

 自分の手で、絶対に。

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