19話

「…………私」


 神様の部屋には灯りもない。

 燭台も壊れているし、蝋燭もない。

 どんどん暗くなっていく部屋の中、影が長く伸びている。


「私、結婚するのを楽しみにしていたんですよ」


 窓を拭く手は、完全に止まっている。

 私は一度だけ目を閉じ、気付かれないように小さく首を振った。


「結婚式、楽しみだったんです。ドレスも仕立て屋から探して、指輪のデザインも、エリック――婚約者に呆れられるくらい、すごく悩んで、迷って。だって、こんなの一度きりじゃない。自分が世界一可愛くて、幸せになれる日なんですよ!」


 思わず声を荒げてしまってから、私ははっと口をつぐむ。

 神様はなにも言わず、顔もないのでどんな表情をしているかもわからない。


 だけど、どう思ったかなんて、顔を見なくてもわかっている。

 私は大きく息を吸うと――気まずさを振り払うように明るい声を上げた。


「……なんて、似合わないですよねえ。私が結婚に憧れているとか!」


 可愛くなれるってなんだ。

 幸せになれるってなんだ。

 自分で言っておきながら、それを私は自分で笑い飛ばす。


「そういう性格じゃないでしょう、私? 世界一可愛いなんて、ちょっとうぬぼれすぎじゃないですかね!」


 だいたい私は、世の少女たちが恋だの愛だのに夢中な間、ずっと聖女修行をしてきた身だ。

 聖女も一種の結婚とはいえ、その実態は単なる就職に近い。

『他人に人生を預けるよりも、自立したい!!』

 という気持ちで聖女を目指していた私にとって、結婚なんて一番縁遠いものなのだ。


「もー、笑ってください! 神様、ちょっと真面目すぎです! そんな深刻な話じゃないのに、変な空気になっちゃったじゃないですか!」


 窓に映る私が笑っている。

 口から出るのは、いかにもおかしそうな笑い声だ。

 私の笑い声が響く中――だけど、神様は、ぴくりとも笑わない。


「笑いませんよ」


「そんなこと言って――」


「結婚に憧れていたのでしょう? その日を楽しみにしていたのでしょう? だからこそ、悲しいのでしょう?」


 神様の声は、真面目で、深刻すぎる。

 私の性格を知っている人は、みんな笑い飛ばしてくれたのに。

 ルフレ様さえ、『似合わねー!』と笑い転げていたのに。


「エレノアさんにとって大事な思いを、私は笑うことなんてできません」


 神様は、優しすぎる。

 いっそ、笑ってくれればよかったのに。




 ――お姉様。


 窓の外を見ながら思い出すのは、姉の結婚式の日だ。

 聖女の道を挫折して、しばらく。姉とアマルダの騒動も終わり、ようやく迎えた上天気の日。


 青い空の下。神官の前で義兄の公爵閣下と愛を誓う、姉の姿を見上げていた。


 こう言ってはなんだけれど、姉はたくましさと強さの象徴のような人だ。

 どんな時でもめげず、周りを引っ張りつき進んで行くような姉。


 だけどあのとき。

 真っ白なドレスに身を包み、頭に淡い花の飾りを差した姉は――世界で一番可愛かった。

 公爵閣下を見つめる姉は幸せそうで、閣下は姉をなによりも愛おしそうに見つめていた。


 ――いいなあ。


 結婚なんてどうでもよかったはずなのに、姉の姿に私はそう思っていた。

 聖女になれなかった私にとって、あの光景は新しい夢だった。


 ――いつか、私も――――。


 あれから、ずっと憧れていた。

 誰よりも花嫁が可愛くなれる、幸せに満ちた結婚式。


 らしくない、なんてわかっていた。

 気が強くがさつで、令嬢らしい奥ゆかしさもない。可愛げのない私には、こんな少女らしい夢は似合わない。

 自覚していた。

 だから、誰に笑われても平気な顔をしていたけど。




「――本気で憧れていたからこそ、悲しくて、悔しいのでしょう?」


 神様は笑わなかった。

 真剣に聞いて、否定しないで、本気だったことを認めてくれて――。


「ならば、エレノアさんも無理に笑わないでください。自分の思いを卑下するあなたを、私は見ていたくありません」


 少し怒ったように、そう言った。

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