7話

 ひやり、と周囲の空気が冷たくなる。

 足を止めた私たちに気付き、他の神殿兵たちがざわめき出す。

 背中を向けた神様の表情はわからない。ただ、こちらを睨む兵の顔だけが歪んでいく。


「な……なんだ、その目は……!」


 威嚇するように吐き出された声は、しかしかすれて弱々しい。

 先ほどまでの勢いは嘘のように消え、唇は微かに震えていた。

 それでも、兵はこらえるように唇を噛み、神様を睨みつける。


「無能神のくせに、なんだその顔は! なにが言いたい!」


 なにが言いたい、と言いながらも、兵は神様の返事を聞く気はないらしい。

 青ざめた顔で首を振ると、まるで神様の声を聞くまいとするように、甲高い声を張り上げた。


「お、俺は最初から、お前を怪しいと思っていたんだ! この……っ!」


 叫びながら、兵は重たげに腕を持ち上げる。

 少しも冷静でない兵の目は、神様だけを映して怯えていた。

 なにをそんなに恐れているのだろう――なんて考えている余裕はない。

 持ち上げた腕の向かう先に、私はぎょっと目を見開いた。


 ――嘘でしょ!? 剣を抜く気!?


「か、神様……!!」


 兵の指先が、腰の剣に触れる。

 反射的に、私は神様の前に出ようと足を踏み出し――。


「ま、待て待て! 落ちつけヨラン!!」


 その直前。慌てて駆け込んでくる別の神殿兵の姿に、踏み込みかけた足が止まる。

 ヨランと呼ばれた兵を押さえつけるのは、彼と同じ年頃の若い男だ。

 体格は、押さえつける兵の方がやや大きい。太い腕が、もがくヨランを離さない。

 抵抗を許さないまま、兵はもがくヨランに怒鳴りつけた。


「やめろバカ! 相手は仮にも神なんだぞ!?」

「邪魔をするな! オルガ、こいつらの肩を持つのか!」

「肩を持つとかいう話じゃないだろ! こんなことして、アマルダ様を困らせる気か!」


 アマルダの名前に、ヨランがはっと息を呑む。

 思わず、という様子で抵抗を止めたヨランを、兵は咎めるようにきつく見据えた。


「神殿兵は、神と聖女を守るものだろう。お前が剣を向けてどうする」

「あんなやつが神なものか!」

「だけど、アマルダ様は神と認めていらっしゃる。お前、無能神になにかしてみろ。お前のせいでアマルダ様を悲しませることになるんだぞ!」


 その言葉に、ヨランは反論ができなかったらしい。

 苛立たしげに「くそっ!」と吐き捨てるが、それだけだ。

 乱暴に押さえつける兵の手を振り払うと、彼は不愉快そうに私たちから目を逸らす。


「アマルダ様はお優しすぎるんだ……! 無能神なんて得体の知れないやつ、神と認める必要なんかないのに……!」


 押し殺したような声でそう言ったきり、彼はもう振り返らない。

 私たちに背を向け、再び歩き出すヨランの姿に――私は、ようやく息を吐き出した。

 思いがけない刃傷沙汰の危機に、あやうく腰が抜けるところだった。


 ――よ、良かった……!


 一触即発の張り詰めた空気が失せ、夏の暑さが戻ってくる。

 じりじりと焼くような日差しに、今さらになって汗が噴き出した。


「き、気が短すぎるわ……! たしかに、最初に騒いだのは私たちだけど……!」


 そこは怒られても仕方ないとはいえ、その後のヨランの反応は過剰過ぎではないだろうか。

 神様だって、別に挑発するようなことを言ったわけでもない。

 それともまさか、ああも怯えさせるほど恐ろしい表情でもしていたのだろうか――と神様を見れば、神様自身も困惑したように眉根を寄せている。


「すみません、エレノアさん。かえって怒らせてしまったようで」

「い、いえ、神様が悪いわけでは――」


「あなたたちが悪いわけではないんです」


 ない。と言いかけた私よりも先に、再び割って入る声がする。

 相手はもちろん、先ほどまでヨランを取り押さえてくれた、オルガと呼ばれた兵だ。


 年の頃は二十そこそこ。

 がっしりとしたヨランよりも、さらにがっしりした体格に、少しいかめしいくらいの顔立ち。

 そのいかつい顔立ちを――今は心底申し訳なさそうに歪めて、オルガは後ろめたそうにこう言った。


「本当にすみません、あいつ、今は虫の居所が悪くて。――――今日のアマルダ様の護衛に選ばれなくて、気が立っているんです」


 ……。

 …………。


 ………………は?

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