24話

 エリックに突き付けられたのは真実だ。

 どんな神様にも仕える――なんて大嘘だ。

 私が、そんな聖女になりたかっただけ。

 そんな聖女になれなかったから、私は誰にも選ばれなかったのだ。



 エリックが去った部屋の中。

 私は今もまだ、座り込んだまま動けなかった。

 体に力が入らないから、だけではない。

 腕に絡むひやりと滑らかな感触に、知らず表情が歪んでいく。


「……離してください、神様」


 エリックの出て行った扉の先を見据えながら、私は静かな声でそう言った。

 ぐっと腕を引くけれど、冷たい感触は離れない。

 痛むほどに強く――腹が立つほどに優しく、私を掴んでいる。


「かばってくれてありがとうございます。もう大丈夫です。だから――」

「嫌です」


 端的な神様の言葉が私を拒む。

 ますます強くなる彼の力に、私は顔をしかめた。


「離しません。こっちを向いてください、エレノアさん」


 背後から聞こえる声に、だけど私は振り返れない。

 この顔を、彼に見せたくなかった。

 どろりと粘りつく感情に歪められた、醜悪な自分を見せたくなかった。


「エリックの話を聞いていたでしょう。神様だって、私がどんな人間か、よくわかったでしょう」


 締め忘れられ、開け放たれたままの部屋の入り口に顔を向けながらも、私はどこでもない場所を睨み続ける。

 自嘲気味な自分の声に頬がひきつる。

 笑っているみたいだ。


「エリックの言うことは間違っていないわ。私、自分のために聖女になりたかったの。聖女になって、認められたかったのよ」


 夏らしくない風が、窓から部屋の中に吹き込んでくる。

 頬を撫でる冷たい風に、私は首を振った。

 あともう少ししたら、本当はエリックとの結婚式だった。

 楽しみにしていたドレスも指輪も、全部無駄になってしまったけれど。


 ――当然だわ。


 だって、無理もない。

 私にとっては、結婚も聖女も同じことだった。


「結婚したかったのもそう。誰でもよかったのよ。誰かに私を見てもらいたかったの。アマルダじゃなくて、私に気づいてほしかったの」


 誰かにとって、価値のある自分になりたかった。

 アマルダには持てない、自分のものが欲しかった。

 特別な存在になれば、聖女になれば、家の役に立つ地位を得られれば――。


 ――お父様が、きっと振り向いてくれるわ。


 それがはじまりで、すべてだった。

 幼い夢に期待して、神様ならきっとわかってくれると思って、修行を続けた意味は、だけど結局なにもなかったのだ。

 神々すらもアマルダを選び、私は誰にも選ばれなかった。


 ――せめて。


 無能神の代理聖女にさせられたとき、不本意でも、せめて心から仕えようと思っていた。

 日の当たる多くの神々の陰で、誰にも顧みられない彼に、せめて私だけは誠実でありたかった。

 見た目や身分だけじゃなくて、ちゃんと見つめていたかったのに――それさえも私には叶わなかった。


「結局、私も周りのみんなと変わらないわ。今だって、本当は神様が、もっと格上の神様だったらって思っているもの」


 アマルダに負けないくらい、格上の神様だったら。

 アマルダなんて見下せるくらい、高い地位の聖女になれたら。


 だけど今、私を掴むのは、人ならざる黒く滑らかな腕だけだ。

 ぬるりとうごめく、誰もが嫌悪する醜い無能神なのだ。

 そう思う自分が、なにより醜かった。


「聖女気取りで仕えたって、やっぱり私は偽聖女だった。――神様だって見ていたでしょう」


 はっ、と口から笑みが漏れる。

 細められた目が、ぼんやりと壁を映し出す。

 持ち上げたくないのに、口の端が持ち上がり、戻せない。


「私、神様を馬鹿にして笑っていたのよ」


 歪んだ顔で、息を吸う。

 神様には振り返れない。

 醜悪な表情で告げるのは――認めたくない事実だ。


「……内心ではずっと、そう思っていたんだわ。無能神なんか――って!」


 神様の優しさに触れ、どんなに好意を抱いたつもりでも――ふとした瞬間に、本心は見えてしまうものだ。

 あのとき口にした言葉も、あの表情も、なかったことにはできない。

 今だってそう。

 後悔しているのに――傷つけたくなんてないのに。

『無能神なんか』と口にしながら、私は歪んだ笑みを顔に浮かべている。


「…………」


 神様は、少しの間無言だった。

 私の背後で、どんな表情をしているのかわからない。

 ただ、彼はかすかに身を震わせ――私の手を離さないままに、静かに息を吐き出した。


「……いいえ」


 聞こえたのは、風の音よりもささやかな声だった。

 やわらかくて、穏やかで――だけど確かな、否定だった。


「いいえ、エレノアさん。私には、あなたが笑っているようには見えませんでした」


 神様の、人とは異なる滑らかな手が、私を強く握りしめる。

 包み込むようなその感触に、私は奥歯を噛んだ。

 異形の手、無能神の手。

 だけど振り払えない――強くて優しい手。


「私が見ているあなたは、ずっと――」


 歪んだ表情が戻らない。

 風が頬を撫でたとき、私ははじめてその冷たさの理由に気が付いた。


「――ずっと、泣いていましたよ」


 濡れた頬が、風に触れてひやりと冷たい。

 笑うような泣き顔で、私は呆けたように瞬いていた。

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