31話
「――――私の、聖女になってくれませんか?」
光の下で告げられた言葉に、私はぱちりと瞬いた。
周囲では、法廷に集まっていた人々がざわめいていた。
なにが起きたのかわからず混乱する人、とにかく無事でよかったと喜び合う人々、誰かへ無茶を叱りつける声。
安堵に人前で涙を滲ませるリディアーヌ、彼女に飛びついて喜ぶマリとソフィ。
息を切らせて立ち尽くすレナルドと、その体にしがみついて泣くソワレ様。
ルフレ様は、疲れたようにその場に座り込んでいる。その傍にいる、見たことのない美貌の神々はどなただろう。
笑い合うヨランとオルガたち神殿兵の横では、アドラシオン様――ではなくユリウス殿下が、どさくさ紛れに逃げ出そうとしていた神官長たちをちゃっかり捕まえているのが見える。
騒がしくて、どこか気の抜けたような――じわりと喜びのにじむような空気が、法廷中を満たしていた。
そんな中で、神様の表情だけがやけに硬い。
いつもの穏やかさを忘れた、余裕のない表情で私を見上げている。
「神様……?」
私の呼びかけに、神様はぎゅっと怯えたように口を結んだ。
それでも視線は逸らさない。握りしめた私の腕も離さない。
金色の瞳に私を映し、まるで裁きでも待つかのように言葉を待っている。
これまで見たことのない、息を呑むほどに緊張した神様を前にして、私は――。
「――――なにを言っているんですか?」
私は眉間に思い切り皴を寄せて、渋い声でそう返した。
こちらを見上げる神様が、きゅっと強張ったまま凍り付く。
以前の黒い体だったら、ぷるぷると小刻みに震えているところだろうか。
なんとなく、泣き出しそうな表情だなあ――などと思ったことは置いておいて。
萎れる神様を見下ろしながら、私は眉をひそめてため息を吐く。
思いがけず大きく吐き出されたため息の、半分くらいは呆れである。
「ああもう、そんな深刻そうな顔で、なにを言い出すかと思ったら」
そしてたぶん、残り半分は安堵だ。
今日の法廷ではさんざん衝撃の告白を聞かされてきたのだ。そのうえこんな真剣な顔をして、いったいなにを言われるのかと思っていただけに、そりゃあ安堵もするというもの。
私は片手で胸に手を当て、はー、ともう一度長く息を吐く。緊張が抜けて、ついでに腰も抜けそうだった。
だけどまだ、腰は抜かさない。
私は息を吐き終えると、凍り付いたままの神様に口を曲げて見せた。
「聖女になる、もなにもないですよ」
膝をつく神様を見下ろすと、最初のころを思い出す。
まだ神様が不定形だったころ。大きさは、ちょうど私の腰くらい。悪臭をまとう体はねとねとで、まだ触れられもしなかった。
誰もが忌み嫌う『無能神』。誰も彼の聖女にはなりたがらない。
私だって、アマルダに押し付けられただけ。始まりは不本意。神様自身に選ばれたわけでもない単なる代理聖女で、神罰ものの偽聖女。
でも、あのころも今も同じ。
聖女になるもならないも、ない。
「だって――――」
私はいつだって変わりない。
あの神殿の片隅にある、ボロボロの小屋で会ったときから、ずっと。
「私は最初から、神様の聖女ですから!」
胸を張ってそう言えば、強張った神様の目が丸くなる。
そのまま虚をつかれたように私を見つめ、ぱちりと瞬きを繰り返し。
それから。
「……ええ、はい。そうですね」
それから、彼は目を細める。
天井から差し込む日差しを受けて、鮮やかな金の髪を風に揺らして。
「そうでしたね、エレノアさん」
輝くばかりの冷たい美貌をくしゃくしゃに歪めて、彼はいつものように、だけどいつも以上に穏やかに。
神らしからぬも神様らしい、気の抜けるほどぽやっぽやの笑みを浮かべた。
(7章終わり)
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