6話  →ルフレ①

 神様、もといクレイル様、改めグランヴェリテ様とは、現在別行動中だった。

 正確には、『祝勝会の会場までは一緒に来たけれど、神様がどこかへ逃げてしまった』、である。


 なにせ神様は最高神。それも、序列最下位の『無能神』から、まさかの最高神であることが判明してしまったばかりなのだ。


 そんな神様が外を歩けばどうなるか。

 もちろんのこと、注目の的に決まっている。神様の姿に人はざわめき、取り囲み、あっという間に人だかりだ。

 さすがに最高神だけあって、囲まれるだけでそうそう気安く声をかけられることはないけれど、囲まれるだけでもかなりの圧。さらに言えば、気安くではなく重々しくなら声もかけられる。


 声をかけてくる人々の顔ぶれは様々だ。

 久方ぶりの顕現に、挨拶に訪れる神々。これまでの非礼を詫びたい神官たち。なんとか取り入れないかと近づくあれやこれや。それから――自分の仕える神がいなかった聖女たち。

 例の横に置いておいた、落胆著しくもたくましい聖女たちが、今度は最高神の聖女の座を狙って次から次へと押し掛けてくるのである。


 ――いやいや待て待て待て! 隣にいる私をなんだと思っていらっしゃる!?


 なんて主張したところで、再就職に必死の聖女が止まるはずもない。中には『第二聖女や第三聖女でもいいですから!』と聞いたことのない単語を口にする聖女もいる始末。

 そりゃあ、神様も逃げ出すというもの。そうでなくとも、もともと人の多いところは得意ではないのだ。彼は祝勝会に足を踏み入れて数歩も歩かないうちに、私に疲れ切った顔で首を振ってみせた。


『すみません、私は人の少ないところで雰囲気だけ楽しみます。せっかくの機会ですので、どうぞエレノアさんは楽しんできてください』


 そう言うや否や、神様のお姿はスッと煙のように消え、私は心苦しいながらもお言葉に甘えて、ちゃっかり満喫させていただいていたのである。


 ――まあ、たまにはこういうことがあってもいいわよね。


 神様にはお気の毒だけど、私としては久しぶりの外。久々の友人たちとの会話に、久々の美味しい食事だ。神様はあとで探して食事を届けるとして、今は少し楽しませていただこう――。


 などと、ごくごく気楽に考えていたのである。




 そんな油断しきったところへの姉の言葉は、あまりにも不意打ちすぎた。


「――――――は、え……は!? はい!!?!?」


 飲んだものを噴き出さなかったのは、せめてもの令嬢としての矜持である。

 気管に入ったジュースをどうにかこうにか飲み込んで、私は姉を見て言葉にならない声を上げた。

 気楽さは一気にどこかへ飛んで行った。あまりの衝撃発言に、ちょっと思考が追い付いていない。


「お、お姉様……今なんと……?」


 もしや幻聴では……? と思いながら、私はかすれた声で確認する。

 姉は相変わらず酒を手に、私の問いに軽い口調で答えた。


「だから、プロポーズ。聖女になってほしいって言われたんでしょう? 聖女って、神様の伴侶じゃない」

「そっ…………」


 それは――と否定しかけたものの、続く言葉が出てこない。

 だってたしかに、姉の言葉はその通り。聖女とは、神に選ばれたる伴侶のことである。


 それはつまり、神の妻。言ってしまえば結婚相手。

 プロポーズ――と言えなくもない、けど。


 けど、で私の思考は完全に停止する。

 隣では姉が、愉快そうにからからと笑っていた。


「良かったじゃない。お父様あの男の選んだ婚約者となんて、最初から上手くいかないと思っていたもの。もっといい相手がいないかと思っていたのよね」


 その婚約者とは、もはや懐かしいエリックのことである。

 神殿で行方不明だった彼は、実はちょっと前に発見されていた。


 場所は、グランヴェリテ様――元グランヴェリテ様のお屋敷の暗がりだ。

 なかなか悪趣味なユリウス殿下が、神殿制圧記念にグランヴェリテ様の屋敷で祝勝会をしようと下調べをしたところ、エリックのみならず他の行方不明者がゴロゴロと転がっているのを見つけたのだという。


『まったく、優しい神々だ。「生きている人間の穢れ」を優先して浄化したのだろうな』


 エリックの発見を伝える際、ユリウス殿下は呆れ半分にそう説明した。

 穢れの中には、すでに体が滅び、嘆きだけが残ったものもある。千年の穢れともなると、むしろ生きた人間の穢れの方が少ない。

 神々はその中で、まだ生きて、体のある穢れを浄化に割り振ってくれた。勢い余って、いくらか白骨死体が見つかってしまったのはご愛敬。いや愛嬌では済まず、グランヴェリテ様のお屋敷はちょっとした大惨事だったというけれど。


 とにもかくにも、エリックを含めた行方不明の人々の大半も、無事――かどうかはさておいて、少なくとも生きて戻ってきたのである。


 ……なんてことは、しかし今はどうでもよい。

 あまりにも、どうでもいい話である。


「いやー、それで見つけたのがまさかの最高神とはねえ。我が妹ながら、すごいところを捕まえたものだわ!」


 姉の上機嫌の声を聞きながら、私は軋むように重たい動きで瞬いた。


 ――ええ……と……。


 すっかり止まった思考を動かして、思い返すのは法廷でのことだ。

 穢れが消えて光の差す法廷。膝をついたまま、私の手を掴む神様。見たこともないほど真剣な表情。


『私の、聖女になってくれませんか』


 強張った顔で返事を待つ彼に――私はいったい、なんと答えた?

 特に深くも考えず、いつものように、軽い気持ちで――――。


 そこまで思い出し、私の顔からサッと血の気が引いていく。

 そのくせ、逆に頭に血が上っているような気もする。

 熱いのか冷たいのかもわからない頭を抱え、私は愕然と呟いた。


「……あれって……そういう意味なの…………!?」

「やーっと気付いたか、この鈍感女」


 下を向く私の真後ろから、聞こえたのはまさかの返事だ。

 ヒュッ、と私は息を呑む。体も思考も凍り付いたうえに、危うく心臓まで止まりかけた。


 いったい誰がと振り返れば、目に映るのは見慣れた人物――ではなく、神のお姿だ。

 透き通るような金の髪。切れ長の鋭い瞳。鋭利なナイフのように繊細な美貌に、それを台無しにする生意気な表情。


 すっかりおなじみの少年神が、私を見据えて、どこか不機嫌そうにニヤリと笑った。

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