45話
――ええと……。
「れ、レナルド……」
マティアスの姿が消え、悲鳴も聞こえなくなったあと。
私はようやく我に返って、重たげに立ち上がるレナルドに駆け寄った。
周囲は水を打ったように静まり返っている。
無理もない。だって相手はマティアスだ。
マティアス本人はさておき――彼の実家は、この国でも有数の大貴族なのだ。
うかつに敵に回すと、下手をすればこの国にいられなくなる可能性だってある。
「あ、あんなこと言って大丈夫なの!? 相手はベルクール家なのよ!?」
いくらレナルドが高位神官とはいえ、その地位は神殿内のもの。
彼の身分自体は平民で、神殿の外に出れば貴族と並び立つのも難しい。
そのことを、レナルド自身がよくわかっているのだろう。
ちっと短く舌打ちをすると、彼は苦い顔で吐き捨てた。
「大丈夫なわけねえだろ」
「大丈夫じゃないって……!」
「マティアス一人を追い出したって、それ以上に俺が潰されるだけだ。上手いこと和解できても、先はねえだろうな」
レナルドは冷静だ。
淡々と告げられた言葉に、私の方が、ぐっと息を詰まらせる。
――止めに入るべきだったわ。
見たことのないレナルドの態度に、呆気に取られている場合ではなかった。
正直ちょっとスッキリした――と心の中でガッツポーズをするなんて、もってのほかである。
――マティアスを怒らせたのは私だったのに。
私だって、怒らせたくて怒らせてしまったわけではない。
でも、逆鱗に触れてしまったのは私で、レナルドはそれをかばっただけだ。
もしもそのせいで、レナルドの道が途絶えたらと思うと、平気な顔をしていられなかった。
特に、レナルドの目的を聞いてしまった今はなおさら。
ソワレ様のためのこれまでを――レナルドの十六年間を、私が無にしてしまうかもしれないのだ。
「…………ごめんなさい」
口からかすれた声が出る。
謝ったところでどうにもならないと思っても、言わずにはいられなかった。
視線は知らず下を向き、重たい頭が首をもたげさせた。
暗い地面を見つめたまま、どうにかできないかと必死に頭を働かせるけれど、私の力でできることなんてなに一つ浮かばない。
ベルクール家はそれだけ力のある家柄だ。
この神殿で、序列上位の聖女の座を買い取ることができるくらいに。
「私のせいだわ。私が余計なことを言わなければ――」
「責任を感じる必要はねえよ。……ま、面倒なことにはなったけどな」
私の言葉を遮り、レナルドは吐き捨てるように言った。
苦々しい口ぶりに、私は顔を上げられない。
面倒どころか未来が完全につぶされる可能性もある。
そのことを、レナルドはきっと誰よりもわかっているだろう。
だというのに――。
「それも仕方ねえだろ。
続けて聞こえるどこか不敵な声に、私は顔を上げた。
見上げる私と、目の前の巨体の視線が合う。
彼は私の視線に気づくと、口の端を持ち上げた。
肉に埋もれた目が細められ、重たげな頬が歪む。
そうして浮かべるのは――巨体に似合いの、にちゃりとした笑みだ。
「お前は俺にとって、それだけのことをしたんだ」
「レナルド……」
見慣れたふてぶてしい笑みに、続く言葉を失ってしまう。
申し訳なさも忘れて瞬く私を見て、彼はハッと鼻で笑った。
普段なら腹立たしいその笑みも、今は受ける印象が少し違う。
嫌味な目つきの奥に見えるのは、たぶん――私に対する、かすかな親しみだ。
「無能神のことも、その力のことも、たぶん明日の神殿で大問題になるだろうよ。この騒ぎで隠しきれるわけもないし、その姿じゃ神殿上層部の反応もまず間違いなくマティアスと同じだ」
でも、と言うと、レナルドは肩を竦める。
面倒そうに、仕方なさそうに、それでいてきっと――本心から。
彼はこう、言葉を続けた。
「できるだけのことはしてやるよ。俺にどれだけできるかわからねえけどな」
細い月の下で、太い体が重たく揺れる。
どうにも締まりのないその光景に、思わず頭に浮かぶのは「にやー」っとした誰かの笑みだ。
ソワレ様ののろけの言葉を思い出しながら、私はぎゅっと顔をしかめた。
――謝罪じゃないわ。
こういうときに言うべき言葉は、『ごめんなさい』なんかではないのだろう。
レナルドに対する申し訳なさも、この先への不安も今は呑み、私はようやく前を向く。
それから――。
この男にだけは、絶対に言わないだろうと思っていた言葉を口にした。
「――ありがとう」
私の言葉に、レナルドは「それで十分だ」と言いたげに口を曲げる。
神様に助けられたからだろう、周囲の人たちも同意するように頷いてくれて、ようやく安堵の空気が戻ってくる。
ほっと息をつくような雰囲気の中、私は背後の神様と顔を見合わせた。
そのまま、どちらともなく笑い合う。
迷いが晴れた今、私は本当に久しぶりに、神様にちゃんと笑みを向けられた気がした。
まだまだ考えることも多いけれど、これでやっと長い夜に区切りが――――。
「――――エレノア!!」
つかなかった。
すっかり油断していた私にものすごい勢いで駆け寄って、ためらわずに襟ぐりをひねり上げるのは、据えた目をした黒髪の美少女――リディアーヌだ。
いつもより十割増しできつい顔をしながら、リディアーヌは私を締め上げながら、あらん限りの声で叫んだ。
「この――――大馬鹿!!!!!!」
容赦ない力でぎゅっと襟首を締められ、リディアーヌの顔越しに私は夜の空を見た。
やたら鮮明な星々が目に焼き付く中――頭に浮かぶのは、マティアスを前にしたときさえ浮かばなかった『死』の予感だった。
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