37話

 地上からは、未だ止まない騒ぎ声がする。

 別世界のように静かな地下で、声は溶けて消えていく。


 頭上では、細い月が揺れていた。

 私の思考も、今は大きく揺れている。


 静けさの中で、私は頭の中で聞いた言葉を繰り返す。

 迷い、悩み続けた心の奥底に、問いかけるように。


 ――『なに』に。


 理想の聖女に――なりたかった。

 ずっと夢だった。聖女になることを目標に、何年も修行をしてきた。

 今だって、聖女になれるものならなりたいと思っている。


 ――でも。


 それはただ、『私』が『私のために』なりたいだけ。

 相手が神様だからではなくて、きっと他の神様でも変わらない。

 そうではなくて――。


 ――私は、『神様』のなにになりたいのだろう。


「…………私」


 神様の聖女になったのは、アマルダに押し付けられたから。

 理不尽だった。納得はしていなかった。

 どうせ代理の聖女で、いつかは神殿を出ると思っていた。


 力になりたいと思ったのは、きっと同情心からだ。

 あくまでも神殿にいる間だけ。

 いつかはいなくなってしまうつもりでいた。


 ――でも、今は?


 目を閉じれば、見慣れた神様の姿がすぐに浮かぶ。

 ぷるんと丸くて、ゆるゆる揺れて、よく伸びる。


 人ならざる神様の傍は心地良かった。

 穏やかで、柔らかくて、陽だまりの中にいるような気持ちがした。


 口うるさくて、やかましい私に微笑みかけてくれた。

 危ないときには助けてくれて、無茶をしたら心配してくれて、つらいときには、慰めてくれた。


 誰にも気づかれなかった私の涙に、気が付いてくれた。


『あなたの光になりたいんです』


 頭に浮かぶ神様の姿が、少しずつ変わっていく。

 私にとっての神様が、形を作っていく。

 心地よかった、迷う必要のなかった、黒くてやわらかな姿ではなくて。


『あなたが、私に光を差してくれたように』


 私を見つけてくれた神様に。

 変わりたいと言ってくれた、彼の姿に。


「私、は……」


 もし――もしも、神様が本当に穢れの増えた原因なら。

 神様が、自分の意思で誰かを傷つけようとしていたのなら。


「私は――――」


 きっと、影のように従ってはいられない。

 それが、聖女としては失格なのだとしても。


 それで、神様に嫌われることになったとしても。


「――――理想の聖女には、きっとなれないわ」


 重たいまぶたを持ち上げて、私はたしかめるように言葉を吐く。

 聖女になるのは夢だった。今も諦めきれない夢のまま。


 それでも。


「神様が間違っているのなら、止めて差し上げたい。他の誰がやらなくても、私だけは」


 神様のためなら、それしかないと言うのなら、私は夢を手離してしまうのだろう。


 ――神様。


 神様に、誰かを傷つけてほしくない。

 彼が誰かに恐れられ、避けられる姿は見たくない。

 もしも彼が暗闇に向かおうとするのなら、私は無理やりにでも引き留める。


 そう思うのは、私が聖女だからでも、彼が神様だからでもない。

 神殿のためでもなく、信仰心のためでもなく――。


 ただ私は、エレノアとして彼の力になりたいだけ。


『なに』に。というのなら――そう、きっと。

 私も、神様の心を照らせる『光』でいたいと思うのだ。


 神様が、そうしてくれたように。

 暗闇の中で泣いている私を、彼が見つけてくれたように。

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