36話

「は――――」


 知らず、口から声が漏れる。

 レナルドの言葉が信じられず、私は目を見開いたままのけぞった。


「はあああああ!? だって聖女よ!? 神様を信じるのが仕事みたいなものなのよ!?」


 聖女の条件は、神様の持つ神気に耐えられるだけの魔力と、清らかな心を持っていることである。

 この清らかな心というのは、博愛の心やら献身の精神やらに、もちろん神々への信仰心も含まれている。

 一番近くで仕える聖女が、神への不信感を抱くなんてとんでもない。

 そんなこと、聖女修行をするまでもなく、この国の誰もが理解している常識だ。


「あり得ないわ! というか、神官だって神様を疑うなんてありえないでしょう!?」

「まあ、そりゃそうだがな」


 噛みつくような私の言葉に、レナルドは肩を竦めた。


「聖女としちゃ、お前の言うことが正解だ。神は人間を超越し、人間を守り、導く存在。いつだって正しくて、疑惑は不信心そのもの。どんなときにも信じ抜くのが、神に仕える人間の心得だ」


 レナルドはそう言いながら、一度視線をソワレ様に向ける。

 寝息を立てるソワレ様を見下ろし、ゆっくりと瞬いてから、彼は暗誦でもするように言葉を続けた。


「神は人間と違って、悪意を抱けない存在だ。悪意をもって人を騙すことはせず、陥れず、偽らず、傷つけず。神が人に関わるときは、いつだって善心が元になっている」

「そうでしょう!」


 人間と違い、神々に悪意というものは存在しないという。

 罰を与えることはあっても、むやみに傷つけるようなことは決してしない。

 人を騙して喜ぶことはなく、人を陥れて嗤うこともなく、苦しむ姿を愉しむこともない。

 神はいつでも、人を導くものなのだ。


 世の中には、そんな神々への信心の重要さが、教訓めいた昔話としていくつも残っていた。

 一見無茶に思える神様の要求を受け、多くの人々が疑問を示す中、信心深い聖女だけが要求に応え続けて救われた――なんて話は、国中のあちこちで聞くことができる。


「でもな」


 思わず身を乗り出す私とは対照的に、レナルドは落ち着き払っていた。

 眠るソワレ様に体を貸しながら、静かに――だけど、妙によく通る声でこう告げる。


「神だって嘘を吐くんだよ」


 暗闇に、レナルドの声が響く。

 私は前のめりになったまま、頭の中で聞いた言葉を繰り返していた。


 ――神様が、嘘を吐く。


「悪意がなくても嘘は吐ける。騙すつもりはなくても人を騙せる。善心が人を傷つけることもある」


 レナルドは言葉を止めると、一度、眠るソワレ様に目を向けた。

 横顔に、少しも笑っていない笑みを浮かべ、口にするのは――こんな言葉だ。


「大丈夫、平気、無茶なんてしていない――ってな」

「あ……」


 ――そうだわ。


 私は何度も、ソワレ様の『嘘』を聞いている。

 悪意でもなく、騙すつもりでもなく、だけど間違いなく、真実ではない言葉。


「信じたいなら信じればいい。それは『聖女様』として正しい在り方だ」


 ――『聖女』として。


「それで神が消えようが、間違って人を傷つけようが、悪神に堕ちようが、そいつのせいじゃねえ。『理想の聖女』ってのは疑わずに神に仕え、追従するもんだ」


 ――神様は。


 人を超越した存在。人の上にあるもの。

 聖女はその下に位置する。あくまでも『仕える』もの。


 理想の聖女なら疑わない。

 自分の立場を知って、身の程を知って、仕える神様の偉大さを知っている。


 ――でも。


 内心の否定と、レナルドの「だが」という言葉が重なる。

 顔を上げた私に、レナルドはまっすぐな視線を向けていた。


「止めたいなら疑うしかない。身の程知らずでも、罰当たりでも、神自身に嫌な顔されたって――聖女でいられなくなったって」

「…………」

「俺はお前にどうしろなんて言える立場でもなけりゃ、言うつもりもない。ぐだぐだ話したところで、どうするか決められるのはお前だけだ――けどな」


 迷いを射貫くレナルドの目に、私は動けない。

 口を閉ざす私に、彼は形だけの笑みも消し、静かに瞬いた。


「お前は理想の聖女になりたいのか?」


 細い月の明かりが、かすかに地下を照らす。

 無防備に眠り続ける女神様の横で、聖女ではない男が口を開く。


「お前、そいつの『なに』になりたいんだ?」


 こういう形も、あるのだと。

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