35話

 地上の喧騒は未だ遠い。

 互いに口をつぐめば、地下には静けさだけが満ちていく。

 ぽっかり空いた穴からは、まばらな星と、頂点に近づく細い月が見えた。

 ソワレ様は、まだ目覚めない。

 レナルドの巨体に頭を預け、眠るように静かな呼吸を繰り返しているだけだ。


「…………アマルダの取り巻きをしていたのも、ソワレ様のためだったのね」


 似合わない大男と少女の組み合わせを見つめながら、私はため息のように漏らした。

 レナルドの目的を考えるなら、神殿で影響力のある最高神の聖女に取り入らない理由がない。

 彼のせいで面倒なことになったわけだし、その恨みを忘れたわけではないけれど、話を聞いてしまうと、単純に腹を立てられなくなってしまう。


 ――いえ、まあ、ムカつくものはムカつくけど。


 それでも、前と同じ気持ちではいられない。

 彼には彼の切実な思いがあっての行動なのだ。


「それならそうと言ってくれればよかったのに」


 彼の事情も知っていれば、私の態度も違っていただろう。

 すっかりアマルダに骨抜きにされているのだと思い込んでいたせいで、余計に彼には刺々しく当たっていた自覚がある。

 それもこれも、ソワレ様のためだった――と思えば、あそこまで反発しなかったのに。


 思わず恨み言を吐く私に、レナルドは短く切り捨てる。


「言うわけねえだろ」


 暗闇に慣れた目に、レナルドの呆れ顔が見える。

 いかにも「アホか」と言いたげに息を吐くと、彼は眉間にしわを寄せた。


「わかっていると思うが、ここで聞いたことを外で話すなよ? 余計なことを話したら、お前を神殿にいられなくするからな」

「話さないわよ、さすがに。それくらいはわかっているわ!」


 念押しするようなレナルドの言葉に、私はムッと言い返す。

 いくら口の軽い私でも、言っていいことと悪いことの区別はついているつもりだ。

 万が一話すとしても、せいぜい――。


 ――リディアーヌに、マリに、ソフィ。それに神様くらいかしら?


「話すなっつってんだよ!」

「心を読まないでよ!? っていうか、なんで考えてることがわかったの!?」

「見りゃわかるわ! お前、俺の十六年間を無駄にする気かよ!」


 この暗い中で『見ればわかる』とはどういうことか。

 思わず自分の顔を撫でながら、私は断固としてレナルドに首を振る。


「無駄にする気なんてないわよ! 十六年もがんばってきたのに、そんなこ――十六年!?」


 私は言いかけた言葉を途中でひっこめ、代わりに聞いたばかりの新情報に目を見開いた。

 十六年。十六年というと……。


 ――レナルドが聖女になれなかったのが、十二、三歳のときで、それから十六年? それは、つまり……。


「二十代!?」

「うるせえ! お前、死ぬほど失礼な女だな!?」

「い、いえ! もっと年上だと思っていたとか、そういう意味じゃなくて!!」


 苛立たしげに腰を浮かせるレナルドに、私は慌てて否定する。

 うっかり自白している気がしなくもないけれど、私が驚いたのはそこではないのだ。断じて!


「二十代で、高位神官!? 身分も後ろ盾もないのに!?」


 高位神官は、神殿内でも限られた人間しかなれない地位だ。

 いずれは神殿を動かす幹部候補。力ある貴族の出身ならともかく、身分もなしにこの地位に上り詰めるのは、三十代でも難しい。

 神殿はレナルドの言う通り、生まれ持っての身分と金、あるいは権力がものを言う場所だ。

 平民出身の神官は、最後まで高位に上がれないことも珍しくないのである。


「あなた、平民でしょう!? それで高位神官って、めちゃくちゃ優秀じゃない!」

「……それだけ無茶やったってことだよ」


 本気で驚く私を見て、レナルドは「ちっ」と舌打ちをして座り直す。


「まっとうな手段じゃねえ。褒められたことじゃねえよ」


 でも、と言ってレナルドは頬杖をついた。

 重たげな顔が手のひらに乗り、分厚い頬の肉が歪む。

『無茶』をし続けた体が、重たげに揺れた。


「時間がないだけだ。このアホ女が、どんどん穢れを吸い込みやがるから」

「…………」


 安心したように体を預けるソワレ様。

 それを見つめるレナルドの目に、私はもう一度、断固として首を横に振る。


「いいえ、やっぱりすごいわ」


 十六年。私の人生とほとんど同じくらいの時間。

 彼はソワレ様のために、『まっとうじゃない手段』を使ってまで力を尽くし続けてきた。

 褒められたことではないかもしれない。私だって、彼のせいで厄介ごとに巻き込まれてもいる。

 こうして話を聞くこともなく、彼を恨み、嫌う人だって多いだろう。


 それでも突き進み続けている。

 今も前を向いている。


 誰に誤解されても、本人が否定しても、私はそれをすごいと思う。


 ――だって。


「……私には、できないもの」


 あ? とレナルドが訝しそうに顔を上げた。

 こちらに向けられた視線に、私は思わず――どうしてか、思わず目を伏せてしまう。


 彼のまっすぐさを、今は直視できなかった。


「そこまで迷わずにいられないわ。大切に思って、信じているつもりでも」


 知らず、私は膝を抱く腕に力を込める。

 頭に浮かぶのは、ぷるんと丸い見慣れた姿だ。


 ――力になりたいって思ったのに。


 穢れを受け止め、冷遇され続ける彼のために役に立ちたかった。

 どうにかして穢れを払って、状況を変えて差し上げたかった。

 力を尽くしたいと、そう思ったのはレナルドと同じはずなのに。


「私は駄目だわ。……聖女なのに、迷って、信じきれなくて」


 息を吐き、短く吸う。

 言葉にするのは恐ろしくて――だけどもう、否定できない。

 レナルドの真摯さを見たからこそ、自分の中の感情を思い知らされてしまう。


 ――そうだわ。私はずっと。


「神様を疑っているもの」


 疑うまい、疑うまいと思っても、思考はいつもここへたどり着く。

 神様が、神殿に増えた穢れに関わっているのでは疑っている。


 ――聖女なのに。


 誰よりも信じないといけないはずなのに。

 誰が疑っても、私だけは信じないといけないのに。


 ――だから、私は聖女に選ばれなかったのよ。


 信仰心が足りないから。神様を信じきれないから。

 聖女として、失格だから――――。


「…………なあ」


 いつの間にか目を伏せていた私に、レナルドの訝しむような声がかかる。

 夜の満ちた地下の底。彼は呼び掛けたあとで一度口ごもり、それからため息を吐いた。


「お前の事情はわからないから、あんまり勝手なことも言えないが……」


 前置きのあと、彼は重たげに身じろぎをする。

 そのまま口にするのは、単純で――だけど考えたこともない疑問だった。


「疑って、なにが悪いんだ?」


 え。


 えっ。

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