43話

 しん、と周囲は静まり返った。

 揺れるランタンの火に、無数の視線が照らしだされる。

 風さえも止んだ静寂の中、かすかに響くのは、声を潜めて交わされるささやきだ。

『まさか』『でも、あの神気はたしかに』『それなら、あの姿は……?』


 疑惑交じりの声に、私は体を強張らせた。

 違う――と言いたいけれど、神様が『無能神』であるのは事実。

 このタイミングで今の神様の姿を見て、疑うなと言う方が難しい。

 だいたい、聖女である私自身がずっと疑い続けてきたのだ。説得する言葉なんてあるはずもない。


 ――ど、どうしよう……!


 とにかく、神様を守らないと――と前に出る私をよそに、マティアスは叫び続ける。


「無能神の姿を思い出せ! 穢れそっくりだったじゃないか!」


 再び歩み出す彼を、止める者はもういない。

 ゆらりとした足取りで、彼は一歩一歩と近づいてくる。


「僕は前々から怪しいと思っていたんだ。あの姿、あの醜さ、あの不気味さ! あいつこそが穢れの元凶だ! この神殿の穢れは、ぜんぶあいつから出て来たんだ!!」

「マティアス様、ま、待って待って!」


 落ち着いて話をしよう、と呼び掛ける私に、マティアスはぴくりとも反応しない。

 眉一つ動かさないどころか、私に視線すら向けない彼に、背筋がぞくりとした。

 説得以前に、そもそも言葉が通じる気がしない。


「自分で穢れを出したなら、穢れを消せたっておかしくない。ソワレ様の奇跡とは違う。あいつはインチキだ! 偽物だ! 僕たちを騙そうとしているんだ!!」

「ま、マティアス様……」

「僕とソワレ様が積み上げたものを、僕たちの信頼を奪おうとしているんだ! そうやって神殿を陥れるのが目的なんだな!? そのために、僕たちの地位を奪うつもりなんだろう!!」

「ち、違う! そんなつもりはないわ!!」


 私は慌てて首を横に振る。

 神様が穢れの原因かどうか――はさておいて、ソワレ様の信頼を奪うつもりはない、と思う。

 だって悪神として神殿に害をなしたいのなら、穢れをばらまくだけで十分。

 わざわざばらまいた穢れを払う必要はないはずだ。


「ソワレ様の地位なんて、別に奪いたいと思っていないわ! 神様はただ――」

「黙れ!!!!」


 マティアスの鋭い声が、私の声を強引に断ち切った。

 ずっと神様に向いていた目が、ぐるんと動いて私に向かう。

 血走った目が、まっすぐに私を映しだす。


「ソワレ様の地位?」

「…………は?」


 私の言葉を繰り返すマティアスに、私はとっさに反応ができなかった。

 なにが逆鱗に触れてしまったのか。見開いた目に震えるほどの怒りを宿し、マティアスは大きく足を踏み出した。


 もう、手を伸ばせば届く距離。

 それでもなお、マティアスは足を止めない。


「お前になにがわかる」

「な、なにって……」

「僕がこの地位につくために、どれほど必死になってきたか。神殿の信頼を得て、他の誰もできないことをして、僕が必要とされるために、どれだけのことをしてきたか、わかるか!!」


 間近にマティアスが迫っている。

 近すぎる距離。私を映す目の中に――狂気にも似た色がある。


 思わず息を呑む私に、マティアスはおもむろに両手を持ち上げた。


「それを、お前も! あいつも!!」


 マティアスの喉から、嗄れたような声が吐き出される。

 怒りのせいか、興奮のせいか、彼の目の端に涙さえ滲んでいる。

 呼吸は荒く、足取りは危うく、だけど持ち上げた手は迷いない。


 まっすぐに――私の首元に向かってくる。


「ぜんぶ無意味だって言うのか! 僕の努力も、僕のこれまでも、ぜんぶ――ぜんぶ!!」


 ひゅっ、と喉の奥から息が漏れた。

 ぞくりと背筋に寒気が走る。

 凍るような悪寒に立ちすくむ私を、マティアスの指が捉えようとしたとき――。


「――そこまでだ」


 真横から、別の手が伸びてくる。

 細く頼りないマティアスの腕を、肉厚な手が握りしめた。

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