42話

「あんな男、神なんかじゃない! 化け物だ! 化け物に決まっている!!」


 暗い夜空に、裏返った声が響き渡る。

 長い魔物の騒動も終わり、落ち着き始めた空気を掻き乱すように、マティアス様――マティアスは声を張り上げていた。


「ソワレ様以外に穢れを消せる神なんているはずがないんだ! あいつはソワレ様を陥れようとしているんだ! あいつがしたことは、ぜんぶ偽りに決まっている!!」

「マティアス様……?」


 指先を神様に突き付け、息を継ぐ間もなく叫ぶマティアスに、私は眉をひそめた。

 顔に浮かぶのは怒りの色だ。

 血走った目の奥には、憎悪にも似た色が見える。


 だけど、その理由がわからない。

 いつもの紳士さの欠片もなく、髪を振り乱して激昂する彼の姿に、周囲の人々も歓声を呑む。


 戸惑ったように顔を見合わせる人々の姿など、しかし彼の瞳には映らない。


「だって! おかしいじゃないか!!」


 視線はまっすぐに私――の背後の、神様を見据えたままだ。

 瞬きすらもしないままに、彼はゆらりと一歩足を踏み出した。


「君たちは誰もおかしいと思わないのか!? あんな神、いなかったじゃないか! あんな神、誰も見たことがないだろう!!」


 そのまま一歩、また一歩とマティアスは近づいてくる。

 足取りは不安定で、そのくせ迷いない。

 ランタンの明かりに照らしだされ、ゆらめく彼の影は不気味だった。

 奇妙な気迫に、足が竦みそうになる。


「ま、マティアス様、落ち着いてください!」


 とにかく、まずは正気に戻さないと――と声をかけるけれど、彼は少しも反応をしてくれない。

 足を止めるどころか、視線ひとつ寄こさない彼に、私は嫌な予感しかしなかった。


 ――ま、まずいやつだわ……!


 正気とは思えない。

 逃げるべきだろうかと周囲を窺うけれど、集まった兵や神官に取り囲まれていて、逃げることもままならない。


「どうして信じられる! どうして喜べる! あんなに怪しいのに!!」


 マティアスは叫び続ける。

 私たちを囲む兵たちを押しのけ、なおも足を進めようとしたとき――。


「ま、マティアス様! お待ちください!」

「あの方は我々を守ってくださったんですよ!!」


 彼に押しのけられた兵と神官が、慌ててマティアスを呼び止める。

 先ほどまで、手を取り合っていた二人だ。

 マティアスの様子に危機感を覚えたのか、彼を引き留めようと肩を掴む――が。


「うるさいうるさいっ! 僕は聞いたぞ! お前たちだって聞いただろう!!」


 マティアスは止まらない。

 肩を掴む手を乱暴に振り払うと、彼は神様に向けていた指先をずらした。


 無遠慮な指が示す先は――。


 ――私……!?


 血走った目が、真っ直ぐに私に向けられている。


「あの女、あの化け物を『神様』と呼んだんだぞ!!」


 凍りつく私の前で、マティアスが喚いた。

 兵が困惑したように眉根を寄せ、再びマティアスを止めようと手を伸ばす。


「マティアス様、それがいったいどうしたと――」

「わからないか! あれは、あの女の神なんだ!!」

「は……?」


 が、その手が途中で止まる。

 マティアスの肩を掴む直前で手を止めて、兵は訝しげに私に視線を向けた。


 いや、兵だけではない。

 マティアスの思いがけない言葉に、周囲の人々の視線が、一斉に私に向かう。


「マティアス様、なにをおっしゃっているのですか? だって、彼女の神というと……」


 神官や神殿兵たちは、私が誰の聖女であるか知っているはずだ。

 なにせそのことで、今までさんざん私を馬鹿にしてきたのだ。


 神様の姿は、一目見たら忘れられない。

 他のなにかと見間違うはずもない。


 まさか、と誰かがつぶやく。

 ありえない。そんな馬鹿な。なにを言っているのだろう――。

 そんな失笑めいたざわめきの中でも、マティアスはまっすぐに私を見据えていた。


「ああ、そうだ、その通りだ。あいつの正体は――」


 目には確信の色が宿っている。

 確固たる横顔に、周囲のざわめきが少しずつ引いていく。

 私に向けられた視線に、疑惑が混ざり出す。


 迷う彼らの心を押すように、マティアスは大きく息を吸い――断固とした言葉を吐き出した。


「あいつの正体は、無能神モノだ!」


 その指先を、まっすぐ神様に据えながら。


「あいつこそが、ソワレ様が言っていた、悪神に堕ちた『弱い神』なんだ!!」

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