17話 ヨラン(オルガ)②
「お探しのところを見かけられてよかった。グランヴェリテ様は今、ちょっと人目につきにくい場所にいらっしゃるので、エレノア様お一人だと見つけられなかったと思います」
オルガはそう言いながら、手燭の火を隠しつつ私を生垣の影へ手招きした。
「なんでも聖女たちに追われているとかで……グランヴェリテ様も、俺の顔を覚えてくださっていたんですね。近くにいた俺に、やり過ごすのを手伝ってほしいと頼ってくださって」
「じゃあ、神様は……!」
無事なのか――と逸るような気持ちで言いかけた私を、「しっ」と人差し指を立てたオルガの鋭い声が制止する。
そのまま息さえも潜めて周囲を窺い、酔っ払いの騒ぎ声しか聞こえないことを確認すると、彼はほっと息を吐いた。
「気を付けてください。どこに聖女が潜んでいるかわかりません」
そんな凄腕の刺客みたいな。
と思えども、オルガは真剣そのものだ。生垣に揃って身を隠しても安心した様子はなく、穏やかながらもどこか緊張感の漂う面持ちで私を見下ろした。
「グランヴェリテ様はご無事です。ただ、まだ聖女たちが探し回っているので、身を隠していただいています。……このあたりは外からは見つけにくいですが、祝勝会のすぐ傍でしょう? 声を出すと、けっこう周りに響いてしまうんです」
「なるほど……?」
つられて声を抑えつつ、私はあたりを見回した。
周囲には生垣があるものの、別に一帯をまるごと囲っているというわけではない。あくまでもここは、解放された広場の中心部。生垣は単に、花壇を見栄えよく見せるためだけのものだ。
花壇は低く、ところどころ植えられている木も背は低い。音を遮るものはなにもなく、祝勝会の笑い声も近くにある噴水の音も、耳を澄まさずともよく聞こえてきた。
「さすがに聖女たちも、真っ暗なこの場所に入ってまで探す勇気はないようです。でも、あの聖女たちの様子だと油断はできなくて……。グランヴェリテ様は『もう大丈夫』と言ってくださったのですが、俺と友人たちで手分けして、周囲を警戒していたんです」
そんな凄腕の刺客と対峙する護衛みたいな。
今は職務外とはいえ、正規の兵であるオルガにここまで言わせるとは、聖女恐るべし。聖女って恐るべき存在だったっけ?
――ま、まあ、とにかく神様は無事ってことよね!
まだ油断ならない状況らしいのはさておき、まずは一安心。どうやら神様が泣いていることも、怯えて震えていることもなさそうだ。
これもすべては、オルガたち神殿兵のおかげである。私は申し訳なさとありがたさを込めて、どう考えても休み中の格好のオルガに視線を向けた。
「オルガたちがいてくれて助かったわ。ありがとう」
「いえ、俺たちはこれが役目ですから」
私服のオルガは、私の礼に慌てたように首を振る。
しかし役目と言っても、さすがに休憩中まで働けというのは酷な話。オルガだって酒盛りもしたいだろうし、美味しい食事も食べたいだろう――と考える私の思考を読んだように、彼は困ったような笑みを浮かべた。
「むしろ、俺たちは頼っていただけて光栄なくらいなんです。……今までのことがありますからね。少しでも失態を取り戻す機会をいただけた、ヨランには負けていられない、ってみんな張り切っているんですよ」
「失態…………」
それがなにを指しているのかは、私にも想像がつく。
彼らは神々を守るべき神殿兵。だけど偽りのグランヴェリテ様の名のもとに、彼らは神様を罪人として扱った。
神殿兵でありながら、剣を向ける先を誤ってしまったのだ。
――事情が事情だし、仕方ないところもあるとは思うけど……。
剣を向けられた側としては腹も立つけれど、あの時点でグランヴェリテ様が偽者だと気づけというのも酷な話。彼らはある意味、職務に忠実だったとも言えるからややこしい。
だいたい腹が立つというのなら、正直オルガよりもヨランの方が私にとってはよっぽどだ。そのくせ法廷ではかばってもらってしまったので、これもまたややこしいのだけど――。
と思ったところで、私ははたと顏を上げた。
「そういえば、ヨランは一緒じゃないのね」
オルガはいるのに、友人であるあの腹立たしい顔が見当たらない。
友人たちで手分けして周囲を警戒している――というからには、もしかして他の場所を見張っているのだろうか。
そう考えていた私に、オルガは笑みともつかない苦い表情を浮かべた。
それから呆れ交じりのため息を一つ吐き、さらりとこんなことを言う。
「あいつは休みです。あの馬鹿、しばらくベッドから動けませんよ」
「えっ」
「足にひびが入っていましたからね。それで無茶をしたんだから当たり前です。本人はぐちぐち不満を言っていましたけど」
世間話のように軽く告げられた言葉に、私はしばし瞬いた。
ちょっと言葉の消化が追い付かない。そんなに軽い調子で流せるような内容だっただろうか。
――ええと……ひび? しばらく動けない? それって……。
「けっこう重症じゃない……?」
「今後一生歩けなくなるほどではないので、たいしたことはありませんよ。安静にしていればちゃんと治ります」
たいしたこと、の基準が違いすぎる。
おののくように足を引けば、オルガは声を上げて――だけど聖女を警戒して声量を抑えつつ笑った。
「俺たちは兵ですから、怪我くらい当たり前なんです。痛みにも人よりは強いつもりでいます。ただ――――」
オルガはそこで、一度言葉を切った。
顏は私に向けたまま、別の誰かを見るように遠くを見る。
手燭の火が照らす彼の顔からは、いつの間にか先ほどまでの笑みも、呆れさえも消えていた。
「ただ、それでも咄嗟には動けません。自分が怪我をしているとき、相手には絶対に敵わないというとき、反射的に迷ってしまう。考えてしまう。立ち向かえない。勝てない。無理だ……って」
「……オルガ?」
「あの法廷でもそうでした。守るべきグランヴェリテ様が穢れの奥にいて、エレノア様が走り出したあのとき、正しく動けたのはヨランだけでした」
あのとき――私が穢れに飛び込んだとき、真っ先に私を掴んだのはヨランだったという。
彼が穢れに沈もうとする私を捕まえ、引き留めてくれていたからこそ、他の人々が駆けつけるだけの時間があったのだ、と。
当人である私は申し訳ないけど実感がなく、あのヨランがと意外な気持ちで顛末を聞いていたけれど。
「あいつはそういう奴なんです。そうと決めたら迷わない。正しいと思ったなら、ためらわずに突き進める。俺があれこれ考えて立ち止まっている間に、あいつはもう手を伸ばしている。……本人は、それを欠点だと思っているみたいですけどね」
たぶん、オルガにとっては違うのだろう。
語りながら、胸を張っているのはきっと本人も気付いていない。
私の見上げる視線の先。彼は手燭を影の中で掲げ、顔を上げて前を向き、どこか誇らしげに――。
あの薄暗い裁判所で、私が誰かから聞いた言葉と、同じようなことを口にした。
「俺にとっては昔から、あの一途な正義感が羨ましくて、妬ましくて――――憧れなんです」
「…………いい友達ね、あなたたち」
私がそう言えば、オルガは気恥ずかしそうに、くしゃりと四角い顔をしかめた。
そしてその表情さえも誤魔化すように首を振ると、掲げた手燭をさらに暗闇の奥へと向ける。
「すみません、引き留めてしまって。どうぞ、奥へ向かってください。――グランヴェリテ様はこの先の噴水にいらっしゃいます」
ほのかな蝋燭の火が照らすのは、花壇に囲まれた細い道と――少し離れた水の影。
祝勝会の騒ぎとは真逆の静かな流水の音が、誘うように響いていた。
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