4章

1話 ※???視点

 呪われた大地を、『彼』は静かに見下ろした。


 恐怖に怯え、逃げることさえ忘れた人間たち。

 彼の威容に平伏し、許しを請う無数の声。

 今さら何の価値もない言葉に、腹を立てるような真似はしない。

 ただ愚かで、哀れに思うだけだ。


 彼は小さく首を振ると、人間たちから目を離した。

 代わりに見やるのは、滅ぶべき者たちを背にかばう、一人の男だった。


「――私がここへ来た理由はわかっているな?」


 男に向け、彼は穏やかなほどの声音でそう言った。

 表情はやわらかく、言い聞かせるように言葉を告げる。


「すべては人間たちの傲慢さが招いたことだ。大地を支配したと驕り、他の命を脅かし、ついには神々にさえ手を伸ばした。――父である大神の怒りに触れた人間たちを、この地ごと滅ぼすのがお前の役目だったはずだ」


「…………」


 男は黙ったまま動かない。

 もとより口数は多くない男だ。

 いつも黙って事を成し遂げ、大神からも信頼されていたこの男が、今はなぜ自分の前に立っているのか、彼には理解しがたかった。


「だが、お前は大神の命に背き、人間の力となった。大神は――父は屠られ、母は嘆き、大地は血と涙に覆われた。もはや呪われた地に祝福はない。人の生み出す穢れは消えず、いずれは人間自身を呑みこむだろう」


 彼は言いながら、穢れを纏う男の姿を見やった。

 人間たちの穢れを肩代わりしたのだろう。

 ただ一人で重荷を背負う男は、もはや悪神に落ちる寸前であった。


 冷酷無慈悲な戦神として知られる男の変化に、彼は息を吐く。

 歓迎できるものとは思えなかった。


「私はお前を止めなければならない。いかにお前が無類の強さを誇る戦神であろうと、力で私に勝てないことは知っているな?」


 男はかすかに口の端を噛む。

 それでもなお、足を引こうとはしない。

 戦神らしい威圧を込めて己を睨む姿に、彼は眉をひそめた。


 男の傍には、人間の娘が一人。

 同じくらい強い瞳で自分を見据えているのが見える。


 ――あれが元凶か。


 人間の中では美しいと言える顔立ちだろうが、神々には遠く及ばない。

 心根も、多少は他の人間たちよりマシだろうが、かすかな穢れを抱いているのが見える。

 凡庸。そうとしか言いようのない娘に、彼は心動かされなかった。


「そこまでして、人間を守る価値がどこにある」


 神々に逆らい、父を手に掛け、勝てない戦いに挑む男がわからない。

 人間の心は、彼にとって醜悪な穢れそのものだった。


「……どれほど言葉を尽くしても」


 彼の問いに、男はようやく口を開く。

 片手で娘を守るように――宝石でも抱くように抱き寄せてから、彼は苦く吐き出した。


「今のあなたに理解していただくことはできないでしょう。――兄上」


 男の赤い髪が揺れる。

 誰よりも信頼する弟の言葉も、今は狂人のたわごととしか思えなかった。

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