14話

「そもそも、無駄な心配だし? 放っておけば戻るもん。弱みでも掴めると思った? ざんねーん」


「ぐぐ……! こ、この……っ!」


 神経を逆なでするようなソワレ様の声に、こめかみがひきつる。

 神殿を穢れから守る優しい女神のイメージは、もはや完全に崩れ去った。

 苛立ちに顔をしかめる私を見て、彼女はルフレ様によく似た美貌を挑発的に歪めてみせる。

 それは、あまりにも容貌に似合わない――毒を持つ、大人の女の顔だった。


「必死だったのに、かわいそー。取り入れるって、期待したもんね?」


 頭の中が熱くなる。

 相手が神様。敬うべき相手である――ということは、例によって頭の外に追いやられる。

 減らず口を叩き続ける彼女に、私は思わず――――。


「この…………!」

「自分の神様、わたしに取られたくないもんね――――って、あ、あいたたたたた!?」

「背伸びしてんじゃないわよ、このお子様神!! こんな体して、よくもそんなことが言えたわね!!??」

「い、いひゃい! ほっぺ引っ張らないでよお!!!!」


 手が出た。

 考えるより先に伸びた手は、ソワレ様の腕ではなく、問答無用で頬を掴む。

 黒く染まった頬は――やはりと言うべきだろうか。ぷるんとした手触りで、もちっとよく伸びた。

 まだ人型をしているだけあって、神様ほどではないけれど――人の姿として、ここまで伸びてはいけないくらいの伸びっぷりである。


「なーにが、『神様を取られたくないもんね』よ! お子様ちんちくりんのくせに!!」

「ちんちく……っ!? そっちだって、人のこと言える体型してないでしょー!?」


 ぐっ……!

 と思いがけない反論に私は言葉を詰まらせる。


 い、いや、でもソワレ様よりは年相応だし!

 まだ伸びしろがあるし!!!


「子ども扱いしないで! わたし、あなたよりずっと長く生きてるんだから!」


 つい怯んでしまった私を振り払うと、ソワレ様はどこからどう見ても子供にしか見えない表情で私を睨んだ。

 うー! と唸るように威嚇する姿は、完全に子猫である。


「子どもじゃないなら、素直に助けられていなさいよ! 無茶して倒れるなんて、大人のすることじゃないわよ!?」

「倒れないもん!」

「『もん!』じゃないわ! いいから大人しくしていなさい! 人を呼んでくるから!!」


 懐かない子猫――もとい、ソワレ様を叱りつけると、私は雑木林の外に目を向けた。


 フラフラのソワレ様は動けないだろうし、彼女の傍には神官が一人倒れている。

 私一人で二人も運ぶのは不可能だ。

 まずは誰か――できれば男手を呼んでくる必要があるだろう。


 ――今の時間なら、見回りの神殿兵がいるかしら? それともソワレ様がこの状況だし、マティアス様を呼んだ方が……?


 神様の穢れは、聖女が浄化するものである――とは、神様がたから聞いた話。

 今の神殿ではすっかり途絶えた話で、穢れの浄化についてはたぶん、知らない人の方が多いだろう。

 私も聖女修行をしていたけれど、浄化の話は一度も聞いたことがなかった。


 ――マティアス様が知っているかはわからないけど……とにかく事情を説明して、なんとかするしかないわ。放っておくわけにはいかないもの!


 となれば、向かうはソワレ様の屋敷。

 体力に自信はないけど、とにかく全力で走るしか――と、ソワレ様の屋敷の方角に目星をつけ、足を踏み出した私の背後。


「呼ばなくていいよ」


 ソワレ様が不機嫌そうに吐き捨てた。

 走り出そうと前のめりになった姿勢のまま、私は背後の彼女に視線を向ける。


「ソワレ様、まだそんなこと言って……!」

「呼ばなくても、捜しにくるもん」

「…………はい?」


 捜しにくる?


「わたしが屋敷にいないと、神気を追ってきちゃうの。心配性だから」


 訝しむ私にそう言うと、ソワレ様は渋い顔で頭を振る。

 それから、重たげに息を吐くと――――くるりと、私に背を向けた。


「ソワレ様! 大人しく待っていなさいって――」

「やーだ。絶対にやだ」


 私の言葉を遮って、ソワレ様は相変わらずの甘えた声で言う。

 大人ぶった態度はやめたのか、その声に挑発的な響きはない。

 だけど――幼い子どもの駄々とも違う。


「あなたも、子どもじゃないならわかるでしょ?」


 夜闇の中、ソワレ様の顏だけが、ちらりとこちらを振り返る。

 闇に溶けそうな黒い髪。眠たげに細められた彼女の目から、視線を剥がせない。

 呑まれたように立ち尽くす私に、彼女は口の端を持ち上げた。


 その表情に、ドキリとした。

 今の彼女が浮かべるのは、幼い容姿には似合わない――だけど、背伸びをしているわけでもない。

 ただ恋をする、ひとりの『女』の笑みだった。


「好きな人に、この姿見せたくないの」


 黒く染まった手をひらりと振ると、彼女は私から顔を逸らす。

 その笑みが見えなくなったとき、私はようやく我に返った。

 夜の空を見上げる彼女に向けて、慌てて手を伸ばす――が。


「ソワレ様、待って――――!」


 その手は彼女に届かない。

 夜空に向けて地面を蹴った彼女は、まるで溶けて消えるように、そのまま闇の中へと去っていく。


 暗闇を握り、立ち尽くす私の背後からは、雑木林を揺らしてこちらに向かってくる足音が響いていた。





「本当に、ソワレ様はこちらにいるんだな!?」

「そのはずですよ。魔力に長けた神官が、ここで神気の放出の気配があると報告してきましたので。まあ、今もいるかはわかりませんがね」

「他人事のように……! ソワレ様になにかあったらどうするんだ! くそっ……ソワレ様!!」


 聞こえるのは、マティアス様と――神官の声だ。

 どこか聞き覚えのある声に、思わず私は振り返り――――。


「――げ」


 マティアス様とともにやってきた男の姿に、令嬢らしからぬ声を上げてしまった。


 だけど無理もない。暗闇の中、私を見下ろす肉厚な巨体を前に、自分の顔が歪んでいくのがわかる。


 ――マティアス様、よりによってこの人と一緒に来るなんて……!


「……なんだ。無能神の聖女が、どうして夜中にこんな場所にいる?」


 でっぷりとした体を揺らし、肉に埋もれた目を吊り上げるこの男こそ、私が犯人捜しをする羽目になった元凶。

 アマルダの取り巻きの高位神官――レナルドである。


「まさか、またアマルダ様の邪魔をしようとしていたんじゃないだろうなあ?」


 レナルドは馬鹿にしたようにそう言うと、にちゃあ……と音がしそうな、歪んだ笑みを浮かべた。


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