15話
――最悪……。
にやにやとこちらを見下ろす神官――レナルドに、私は口元を歪めた。
ただでさえ、夜遅くに出歩くなと他の神官に怒られたばかり。
穢れ多発中の現在の神殿では、以前と違って聖女の夜歩きに厳しく――――つまりまあ、今の私は後ろ暗い身の上。
文句を言われても仕方のない立場なのである。
とはいえ。
「くだらない犯人探しに熱を上げて、聖女ってのは本当にろくでもない連中ばっかりだなあ? そんな無意味な真似までしてアマルダ様の足を引っ張ろうとは、心底見下げ果てたやつだ」
暗い雑木林の中、レナルドは倒れている神官を一瞥しただけで、ソワレ様を探すこともなく私を見やる。
ランタンに照らされた顔に浮かぶのは、隠しもしない嘲りの表情だ。
「清らかな聖女が聞いて呆れる。自分の神も放って、夜中に一人で探偵ごっこか。お前らのごっこ遊び程度で、穢れの原因が見つけられると本当に思っているのか?」
「ごっこ遊びって……!」
「おっと、なにか言える立場か、お前? 穢れが出て大変なときにフラフラ出歩いているくせに? お前になにかあったら、誰が助けると思っているんだ?」
ぐぐ……っ、と私は奥歯を噛む。
聖女は神々の加護を受け、特別に守られた存在――とは言うものの、現在の神殿ではそんなものは建前に過ぎない。
自分の神と相対することも叶わず、加護も与えられない聖女に、身を守るすべはない。
そうなれば、聖女を守るのは神官と、神官の率いる神殿兵だけだ。
もっとも――。
「た、助けてくれるのはソワレ様じゃない……!」
神殿兵では穢れを払うことはできない。
彼らの仕事は、巻き込まれた人々を安全に逃がし、ソワレ様が来るまで時間稼ぎをすること。
たしかに神殿兵にも守ってもらってはいるけど、そっちだって偉そうにできる身分ではないはずだ。
だけど私の反論に、レナルドは「はん」と鼻を鳴らす。
肉厚な顔が歪む。肉に埋もれた目が嘲笑に細められる。
醜悪なその表情で告げるのは――神をも恐れぬ侮蔑の言葉だった。
「あの男好きが、自分から聖女を助けるわけがないだろ」
「な――――」
あまりの不遜さに、私は言い返す言葉さえ呑み込んだ。
たしかに、ソワレ様は聖女の間で『男好き』として知られている。
聖女に関心を持たず、神官ばかりを相手にしているのは事実。
彼女自身も、『女の子に興味がない』と口にしていた。
私だって、ソワレ様に良い印象を抱いているわけではない――けど!
――よりによって、それを神官が口にする!? 助けられている人間が!!?
「なによその言い方! ソワレ様は、あなたたちのために体を張って守ってくれているのよ!?」
頭に浮かぶのは、去り際のソワレ様の姿だ。
逃げるように去っていった彼女の――黒く染まった横顔に、思考が熱くなる。
フラフラになって、姿を保てなくなって、好きな人に見せられない姿になってまで、彼女は神殿を守り続けている。
「神官のくせに、ソワレ様がどれだけ無茶をしているかわからないの!?」
「…………」
言葉を吐く私を見下ろして、レナルドは目を眇めた。
その表情に、私は息を呑む。
レナルドの顔に浮かぶ侮蔑の色には、わずかばかりの変化もない。
呆れ、見下し、馬鹿にしたように鼻で笑うだけだ。
「無茶をしてくれなんて、頼んだ覚えはねえんだよ。全部あの女が勝手にやっていることだ」
冷たい声の響きに、私は知らず足を引いた。
神殿における、数少ない人間の味方をしてくれる神。
多くの神が姿を隠した今、神官たちの頼みに応え、守ってくれる神。
今の神殿が穢れから守られているのは――ただ、ソワレ様がいてくれるから、なのに。
――『
どの神へも、等しく同じ。
神託を偽り、望まない聖女を押し付け、神の言葉を聞きもしない。
今の神殿には、神への信仰心なんてどこにもないのだ。
「八つ当たりはもういいだろう、無能神の代理聖女様?」
言葉のない私に、レナルドは足を寄せる。
手を伸ばし、乱暴に私を掴もうとして――。
「あの男好き女神の名前でも出せば、誤魔化せるとでも思ったのか? これだから偽聖女は――」
「――――レナルド君」
その手を、横から別の手が掴んだ。
太いレナルドの腕を片手で捩じ上げるのは――怒りを目に宿した、マティアス様だ。
「言いすぎだ」
優しげな風貌が、今は怒りの色に染まる。
端正な横顔はしかめられ、巨漢のレナルドを睨みつけていた。
体格だけならば、マティアス様は細く、レナルドよりも小さい。
だけどレナルドは、気迫に圧されたように足を引いた。
「それ以上、僕の神を侮辱することは許さない。エレノア君のこともだ」
「…………ちっ」
苛立たしげに舌打ちすると、レナルドはマティアス様の手を払う。
マティアス様も、それ以上は追わない。
無言のまま睨み続ける彼の姿に、レナルドは眉根を寄せ――――。
「わかりましたよ。……だが、こっちも仕事は仕事でしてね。夜中にうろつく聖女を見過ごすわけにはいかないんですよ」
渋い顔で私を見た。
…………はい?
「風紀を乱す聖女には、それなりの処罰が必要ですからね。――自分の神のためでもなく、この非常時に夜中に歩いているんだ。見つかったときの覚悟はできているんだろうな?」
「か、覚悟…………?」
風紀? ……処罰?
嫌な予感がする。
嫌味を言われるのとは、また別の嫌な予感がする。
「こういうときの聖女の処罰は、わかっているだろうな?」
強張る私に、レナルドは口を曲げた。
やはり、にちゃあ……とした笑みである。
「――――謹慎と反省文だ! 百枚書くまでは、部屋から出られないと思え!!」
や、やっぱり――――!!
聖女修行時代にさんざんやったやつ!!
救いを求めてマティアス様を見れば、『これはさすがに庇えない』と言いたげに首を横に振っていた。
あああああ、もう! 最悪!!!
少し気が晴れたように嘲笑うレナルドに、同情的なマティアス様。それから、頭を抱える私。
その横で――倒れたまま、意識を取り戻さない神官の影が揺らめいた。
ソワレ様が受け止めきれなかった深い影は、どろりと揺れて、神官の体から離れていく。
かすかな葉音を立てて移動するその影に、私たちは気が付かなかった。
「あま……るだ……さま……たすけて…………」
救いを求める声は、夜の風にかき消される。
影は重たく蠢きながら、ゆっくりと――しかしまっすぐに、雑木林の先へと向かって行った。
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