4話

 差し出されたトレーを前に、神様は身じろぎ一つしなかった。

 ただ無言のまま、粗末な食事を見下ろしている……ように見える。

 顔がないからわからないけど。


 これは……やらかしてしまっただろうか…………。


 やっぱり、床に直接トレーを置いたのは不味かっただろうか。

 一応昨日のうちに埃を払ったとはいえ、正直きれいとは言い難い。

 特に神様がねとねとを生産し続けるせいで、なんとなく部屋全体が黒くて粘っこいのだ。


 ――でも、テーブルの上に置いたって届かないでしょうし、そのテーブルも汚いし……。


 神様の高さは、私の腰より少し上くらいだ。

 テーブルに乗せたところで手が届くとは思えない。

 だったら床の方がマシだと思ったけど――この光景、下手しなくとも犬猫の扱いに見えないだろうか。


 ――お、怒っていらっしゃる……?


 朝に他の聖女に嫌がらせされて、そのまま食堂で聖女差別を受けて、そのうえこの温和な神様に怒られるとか、今日の私は踏んだり蹴ったりすぎない?

 いや、最後のは自業自得だけども。


 と恐る恐る神様を見やれば、彼は戸惑ったように一度震えた。


「…………神は、食事をしなくても問題ありません」


 心底困惑した声で、彼は小さく呟いた。


「神が死ぬ方法は二つだけ。他の神に討たれるか、自ら神の力を捨てるかです。空腹で死ぬことはありませんし、……実際、私はもう百年以上、ものを口にはしていません」


 言いながら、神様はぐぐっとトレーを押し返す。

 黒いねばねばが付かないように気を使っているのだろう。

 遠慮がちに端っこだけに触れているのが見える。


「私のことは気にしなくて結構です。少ない食事なのでしょう? どうぞ、ご自分で召し上がってください」

「…………」


 私は無言のまま、少しだけ神様を見やった。

 神様が餓死しないことは、さすがの私でも知っている。

 神官も『神には本来、食事は不要だ』と言っていた。


 言っていたけど――――。


「……フルコース」

「は?」

「じゃあ、なんで他の神様はフルコースなのよ!」


 食べ物の恨みは深い。

 というか妬ましい。

 こっちはこんな粗食なのに!


「空腹では死なない――って言っても、食べる理由があるんじゃないんですか!? じゃなかったら、あの食事ぜんぶ無意味じゃないですか!」


 単なる嗜好品?

 それともまさか、お供えのためだけに作っているの?

 聖女の食事も兼ねているとはいえ――あの量では、ほとんど廃棄物になってしまうだろうに。


「もったいない!!」


 思わず本音を漏らしてしまえば、神様が困ったようにねとっと震えた。

 空腹で気が立っている私を宥めるように、震えながらそっと口を出す。


「……ええと、無意味というわけではないかと。食べなくても平気ではありますが、空腹自体は感じるので」


 ほほう。無意味ではないと。

 食べなくても平気だけど、空腹は感じると。

 なるほど、だから神殿の料理はちゃんと神様も食べていて、無駄にはならないと。


 なるほどなるほど――――。


「それって、平気って言いませんから!!」


 押し返されたトレーをさらに押し戻し、私はガッと神様を叱りつけた。

 お腹、減るんじゃないですか!!!!


 しかもこの神様、さっき『百年以上ものを口にしていない』とか言っていなかった?

 それで『自分のことは気にせず食べろ』って?


 ――き、聞かなきゃよかったー!!!


 だってそんなの、気にするなって方が無理でしょう!


 百年単位の空腹を抱える神様を横に、自分だけ食事ができる人間がどれくらいいるというのだろう。

 空腹と言われなきゃ気にせず食べたかもしれないのに、余計なことを――と思いつつ、私はこれ以上の問答は無用とばかりに立ち上がる。


 そうして、叱られたことに震える神様を見下ろして、ビシッと指を突きつけた。


「いいから、遠慮するより先にさっさと食べちゃってください! 今日はこの後、大掃除をするんですから!」


 とうてい一日二日では片付くはずのない部屋の惨状。

 食事でごちゃごちゃ言うよりも、こっちはさっさと手を付けたいのだ。


 ふんっ!――と鼻息を吐く私の下。

 神様は少し戸惑ったように震えたあと――。


 おずおずと、食事に向かって泥の手を伸ばした。

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