29話

 ロザリーの様子は明らかにおかしかった。

 足元には深い影。

 顔にはうっすらとした笑み。

 だけどまったく笑っていないことが、瞳の色から察せられる。


「――みんなそう」


 声は小さく、かすかに掠れている。

 けれど、息を呑む私たちの間に、彼女の声は奇妙なくらいによく響いた。


「みんな私の邪魔をするの。私が聖女なのに。私だけが聖女なのに」


 そう言いながら、彼女は私たちに向けて歩き出す。

 ゆっくりとした歩みは、まるで足元の影に足を取られているかのようだ。

 重たそうに足を持ち上げれば、影も同じくらいに重たくついてくる。


「偽善者のアマルダ、偽聖女のリディアーヌ、ルフレ様に色目を使う、恥知らずのエレノア。本物の聖女わたしに逆らう見下げ果てた聖女たち。みんな、みんな――」


 細められた目を更に細くして、彼女は歌うように囁いた。

 みんな――と言うけれど、彼女が見つめるのは私だけだ。

 私だけをまっすぐに見つめ、私に迷わず向かってくる。


 近付くほどに、彼女の影は濃くなっていく。

 空気は震え、彼女の周囲に魔力が渦巻いているのが、肌で感じられた。


 ――ぜ、絶対にまずいやつだわ!!


 取り巻きが『言い訳なんて通じない』と言った理由がよくわかる。

 今の彼女に話は通じないだろうし――かえって刺激してしまいそうで怖い。


 ――こ、こうなったらもう……!


 取れる手段は一つだけである。

 目の色がおかしく、話も通じない。

 おまけに魔力まで放つ、様子のおかしい人間に対抗する方法は――。


 ――逃げるしかないわ!!


 ぐっと拳を握る私の横で、ロザリーは相変わらずだ。


「みんな、裏切り者よ。みんな――――」


 などとぶつぶつ続けている。

 どうやら話途中みたいだけれど、馬鹿正直に最後まで聞く義理はない。

 というかこれって、あれでしょう。

 最後まで聞き終えた途端、怒りを爆発させて、襲い掛かって来る罠みたいなやつ。

 魔力もどんどん強まっているみたいだし、こういうときはさっさと撤退するに限る。


 ――よし!


 内心で覚悟を決め、私はリディアーヌに目を向けた。

 ロザリーの言葉から、たぶんリディアーヌも狙われている感じがするし、一緒に逃げよう!


 と目で訴える私を、こういうとき馬鹿正直に最後まで聞いてしまうタイプのリディアーヌが、訝しげに見つめ返す。

 どうせ『この状況のロザリーを放っておいて大丈夫なのかしら?』とか考えているのだろう。

 たしかに、ちょっと心配にはなる状態だけど――。


 ――知ったこっちゃないわ! 自分の身の方が大切よ!


 そもそも、このロザリーを落ち着かせる方法なんて知らないのだ。

 今はとにかくこの場を離れ、神官を捕まえて報告するのが最善だろう。


 そう思い、一歩足を踏み出した瞬間。


「――――ロザリー! ここにいたのね!!」


 聞こえてきたのは、もう一人の取り巻きの声だった。

 反射的に振り返れば、こちら側にいる取り巻きが、慌てた様子で「ソフィ!」と叫ぶ姿が見える。

 そうか、あの子はソフィという名前なのか――なんて新事実はどうでもいい。


 問題は、彼女がロザリーの背後から現れ、彼女の様子にも気が付かずに駆け寄ってくることだ。


「探したのよ! 止めてもすぐにどっか行っちゃうし……! ねえ、もう戻りましょう。いくらルフレ様のことがあったからって、ちょっと冷静じゃなさすぎるわよ!」


 ロザリーの纏う魔力にも、足元の影にも、ソフィは気が付いていないらしい。

 ただ、息を切らせてロザリーの腕を掴むだけだ。


「どうせ、無能神の聖女がまとわりついているだけで、ルフレ様も迷惑しているのよ! ね! だからもういいでしょう? また足を引っ掛けて、水や生ゴミを被せましょう? それでいいじゃない!!」

「…………そう」


 必死のソフィの声に、ロザリーは低くそう答えた。

 あまりに底冷えのする声に、逃げ出しかけた私の足が止まる。


「あなたもなのね」

「え……?」


 とつぶやくソフィは、ロザリーの表情に気が付いていない。

 渦を巻く魔力が増え、足元の影が広がる中――――細められた目が見開かれる姿を。


「ば――――」


 張り詰めた空気の変化に、思わず足と声が出る。

 逃げ出す方向とは真逆。

 呆けたソフィに向け、私は手を伸ばす。

 リディアーヌも慌ててこちらに向かってきているが――距離的に、私の方が早い。


「――――馬鹿っ!! 危ない!!」


 私はソフィの腕を掴むと、無理矢理に引き寄せた。

 どうにかロザリーから離したはいいものの、しかし私の力では受け止めきれない。

 二人分の体重にバランスを失い、私とソフィは二人まとめて、その場に勢いよく倒れ込む。

 その、直後。


 ロザリーの周囲で、無数の魔力が弾けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る