49話 ※ルフレ視点
唇が触れた一瞬。
ルフレは穢れをエレノアに明け渡した。
頭の中、響く声が少しだけ小さくなる。
穏やかに失われていくその声に、彼は静かに目を閉じた。
渡したのは、今日引き受けたばかりの穢れの、ほんのわずか。
だけど、大半の
木々がざわめき、風が緩やかにルフレを撫でた。
目を閉じた彼の頬に、風に流れた彼女の髪が触れる。
くすぐったくて、妙に心地が良い。
――久しぶりだな、こういうの。
聖女と神の交わりが絶えてから、数十年、数百年。
溜め込むばかりだった穢れを託せたのは、いつ以来だろうか。
たとえほんのわずかでも――彼の方こそ救われた気持ちになる。
思わず、感慨にため息をつこうとして――。
「は――――はあああああ!!?!?」
息を吐くよりも先に、顎にゴチンと痛みが走る。
吐きかけた息を、ルフレはそのまま飲み込まされた。
胸の中にきざした感慨やらなにやらは、この瞬間に完全に消えた。
「い……ってえ!?」
驚いて目をやれば、額に手を当てて目を見開くエレノアの姿がある。
想像するまでもなく、顎の痛みは彼女の額が原因だ。
「なにすんだよ、いきなり!」
「それはこっちのセリフよ! 穢れを払うんじゃないの!? あなた、乙女に勝手になにしてんのよ!?」
「はあ!? 乙女ぇ!?」
などと、そうじゃないと思いつつも余計な言葉を拾ってしまう。
上手く気を逸らせてよかったとか、穢れの影響がなくて安心したとか、そんなことが言えればよかったのに――。
顔を赤くするエレノアに向け、ついつい口にするのは、いつもと変わらない憎まれ口だった。
「乙女は頭突きなんてかまさねーよ!」
「乙女だって頭突きくらい普通にするわよ!」
「いや、しないだろ!? 絶対に普通じゃねーよ!」
「私にとっては普通なのよ!」
言い争いの中身は、いつも通りくだらない。
まるで子供の喧嘩である。
穏やかな静寂は消え失せ、今は風の音さえも聞こえない。
頭の中に響き続ける、無数の穢れの遠のいて、いつしか明るい騒ぎ声だけがルフレの中に満ちていた。
――ああ、もう……!
止めどころのない無益な争いに、ルフレは笑ってしまう。
――こいつ、俺が神だということを忘れてるんじゃないか!?
と思うけれど、不思議と悪い気はしなかった。
悪い気はしない、という事実がむしろ苦々しく、一人顔をしかめれば、エレノアが言葉を止めていぶかしそうにこちらを見る。
「……ルフレ様?」
自分を見上げる彼女を、ルフレは口を曲げたまま見下ろした。
眉をひそめた彼女の顔には、神に向かう敬虔さもなければ、神と対等に語っているという自負もない。
――穢れを払っても、人ひとり救っても、ぜんぜん自覚ねーの。
もちろん、彼女は誰かを救ったことを知らないし、穢れを払うことの重みも知らないのだろう。
だけど知ったところで、多少は驚いても、当たり前のように受け入れる姿が見える気がした。
そうやって当たり前のように、この先を彼女と過ごしていきたかった。
「…………お前さ」
言い争いが止み、静けさの戻った星空の下。
ルフレは自分でも知らず、口を開いていた。
エレノアの上に、星々が瞬いている。
宝石のように鮮やかな星も、だけど今は目に入らない。
たいして美人でもない、喧嘩ばかりでかわいげもない、生意気な人間の少女だけを、彼の目は映していた。
「エレノア。お前、俺の聖女にならないか?」
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