48話 ※ルフレ視点

「急にいなくなったと思ったら、こんな裏手にいて! 探したわよ!」


 その声に、ルフレは慌てて指先を隠した。

 顔を上げれば、こちらに向かって駆けてくるエレノアの姿がある。

 ルフレを見やる彼女の渋い顔に、彼もまた顔をしかめた。


「なんだよ。お前に探されるような覚えはねーんだけど」


 口から出るのは悪態だ。

 目の前で足を止めた彼女をねめつけ、彼はついつい要らない言葉を吐いてしまう。


「帰ったんじゃねーのかよ。まさか、俺に送って行けとか言う気じゃないだろうな? 誰がお前みたいなブスを送るか!」

「そんなこと言わないわよ! 心配して探してきたのに、失礼ね!」

「はあ? 心配ぃ?」


 エレノアも怯まず言い返してくるものだから、言い合いが止められない。


 ――こんなこと、言いたいわけじゃねーのに……。


 普段ならもう少し取り繕える態度も、彼女の前だとどうにも上手くいかない。

 無防備なくらいに素を晒す自分が腹立たしく、余計に口も悪くなる。


「どうして俺が、お前なんかに心配されなきゃならねーんだよ。人間のくせに!」

「はー!? 心配するに決まってるでしょ! あなた、穢れに触れたくせに!」

「穢れ……って」


 無意識に、ルフレは隠した指先を握りしめる。

 たしかにルフレは穢れに触れた。

 エレノアたちを逃がすため、取り込まれかけたソフィを助けるため、すでに限界が近かった体に新たな穢れを受け入れた。

 体は重く、姿を保つことも厳しくなっていたが――そんなことを、エレノアが知るはずがない。

 ずっと平気な顔をしてみせていたはずだ。

 なのに――。


「触ったところ、見せてみなさいよ! どうせルフレ様だし、我慢してるんじゃないの? 見栄っ張りだし!」

「見栄っ張りじゃねーよ!」


 図星を突かれ、つい言い返してしまうルフレを、エレノアが見透かしたように笑う。

 ふん、と生意気そうに息を吐き、彼を見据え――彼女は少しだけまじめな顔をした。


「払うわよ、穢れ。……必要ならだけど」


 え、とルフレの口から声にならない音が漏れる。

 瞬き、彼女を見下ろせば、髪と同じ栗毛色の瞳が目に入った。

 ふざけた様子もない彼女に、ルフレは言葉を詰まらせる。

 なにを言っていいのかわからなかった。


「ルフレ様には、なんだかんだで助けてもらったもの。今日は結局、神様の穢れを払う前にこんなことになったから、魔力も残っているの。……って言っても、もともとたいした量ではないんだけど」


 少し恥じるように言うと、彼女は切り替えるように首を振る。

 言い訳めいた言葉を止めれば、彼女の顔にどこか不敵な笑みが浮かぶ。


「まあ、応急処置ってことで。やらないよりはマシでしょ!」


 その言い分は、いかにも彼女らしい。

 あまりにも能天気すぎて、かえって羨ましいくらいだ。

 暗い星空の下、えらくもないのに胸を張る彼女に、ルフレは思わず目を細めた。

 光は自分であるはずなのに――彼女こそがまぶしく見えてしまう。


「……お前さ」


 閉じていた口から、いつもより少し穏やかな声が出る。

 彼女の気楽さに、呆れ混じりに告げるのはこんな問いかけだ。


「穢れを払うって、なにするか分かってんの?」

「もちろん!」


 と大きく頷いてから、彼女ははっとしたようにルフレを見上げた。

 さっきまで自信に満ちていた顔が、今度は真っ赤に変わっていく。


「……って! へ、変な意味じゃないからね! ね、ね寝る……とか、そういうのじゃなくて!」


 焦ったように首を振り、彼女は一歩後ずさる。

 そこで足を止め、赤い顔のまま彼女はキッと憎々しげにルフレを睨んだ。


「というか! 穢れを払うためには手を触れるだけでいいんじゃない! なんであんな嘘を吐いたのよ!」

「……ああ」


 少しの間の後で、ルフレはいつだったか、彼女に告げた言葉を思い出した。

 穢れを払うために、寝る必要があるとかなんとか――そんなことを言った気がする。


「そこまで嘘じゃねーんだけどな」


 穢れを浄化するためには、多少なりとも人間が穢れに触れなければならないのだ。


 相手の魔力に合わせ、浄化できる分だけを渡すとはいえ、その調整は難しい。

 よほど穢れの扱いが上手くなければ、相手に苦痛を与えてしまうことになる。


 肌を合わせるのは、その苦痛を紛らわせるのに都合がよい。

 もとより、触れ合う範囲が大きいほど、浄化できる穢れも大きいのだ。

 裸の体を重ね、意識を誤魔化そうとしたら、自然とそういうことになる。


 ――そもそも、それだけ信頼しあってないとやらねーことだし。


 人間からすれば、力加減を誤れば穢れに呑まれると知っていて、それでも身をゆだねられる相手。

 神からすれば、苦痛を与えると知っていて、それでも耐えるようにと求められる相手。


 神と聖女とは、本来はそういうものだった。


 ――……まあでも、手を触れるだけと思っているなら、それで。


 あの方ならきっと、それで済ませられるのだろう。

 彼女がそれで済んでいることに――苦痛とその先を知らずにいることに、なぜだかほっとしてしまう。

 いや。


 ――なぜだか、じゃねーよな。


 ふ、と苦々しく息を吐き出すと、彼は未だ顔の赤いエレノアに一歩近づいた。

 手を伸ばさずとも届く距離。思いがけない近さに、エレノアがぎょっとする。


「ルフレ様……!?」


 だけど気にせずもう一歩。触れ合うほどの距離で、彼は立ち止まる。

 エレノアが驚いてのけぞり、足を引こうとするが――それよりも先に、彼は逃げる彼女の肩を掴んだ。


「触れなきゃ払えないだろ」

「そ、そうだけど……!」


 手を触れるだけなら、こんな距離は必要ない。

 なにをされるのかと困惑する彼女を見下ろし、ルフレは口元を歪めた。

 笑っているのか、そうでないのかは、彼自身にもよくわからない。


「……悪いな」


 掴んだ肩を引っ張れば、よろけたエレノアの顔が近付いてくる。

 きょとんと呆けた瞳に、自分の姿が映っているのが見えた。

 いかにもピンと来ていない、無防備な彼女の様子に、胸が疼くような心地がした。


 一瞬だけ、戸惑いに結ばれた唇を見やる。

 簡単に触れられそうな気がしたけれど――少しの迷いの後で、彼は視線を上に移した。

 片手を伸ばし、そのまま彼は、彼女の少し癖のある前髪に触れる。


「俺は、あの方ほど上手くはできないから」


 少しだけ、彼女の気を逸らしてやるために――あるいは、もっと単純な思いを込めて。

 指先で軽く髪をのけると、ルフレはいつもからかってばかりの彼女の額に、そっと唇を寄せた。

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